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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.11
今日の言葉

出山像

出山像とは、『禅学大辞典』には、

「釈尊が六年の苦行ののち、一二月八日暁の明星をみて悟り、雪山(ヒマラヤ山)を下る時の姿。

出山相、出山の釈迦ともいう。

一般に眼は光り輝き、髪は乱れ、療せ果てた苦行の様子を描いている。

僧堂では毎年、一二月七日にこの像を掛けてその徳に報いる。」

と解説されています。

この写真は、釈宗演老師の描かれた出山像であります。

讃は、『佛光録巻八』にある仏光国師出山の偈であります。

説くことを休めよ、功成じて便ち山を出づると。

精金元赤く、虎元斑なり。

沈吟三七、何事にか縁る。

開口還って思う、合口の難きことを。

というものです。

円覚寺に伝わる『佛光録』講本には今北洪川老師が書き入れをなさっています。

「説くことを休めよ」というところには、「皆言うなよ」と書かれています。

「功成じて」は「功業成就して」と書かれています。

「精金元赤く、虎元斑なり」には「すりこぎは直く、杓子は曲がれり」と書かれています。

結句の「開口還って思う、合口の難きことを」には、「へひって尻をすぼめる」と書かれています。

とても達意的な興味深い註釈であります。

これらを踏まえて全体を意訳すると

「お釈迦さまが悟りを成就して山を出てきたなどと言うなよ。

精金はもとから赤く、虎はもともとまだら模様であるように、人は元来みな悟りを得た仏にほかならない。

二十一日もの間、説法をためらわれていたのは、どうしてだろうか。

口を開いて説法をしてみて、口を閉じて黙っていることが如何に難しいことか分かった。」

というところであります。

もっとも、黙っていた方がよかったのにと言っているようにみえますものの、実際は、お釈迦さまがよくぞ我ら衆生の為にお説法してくださったと感謝の心を表わしています。

三七、二十一日の間説法をためらわれたというのは、お釈迦さまの次のような話があるからです。

増谷文雄先生の『阿含経典による仏教の根本聖典』から引用させてもらいます。

「ある時、世尊は、ウルヴェーラ(優楼比羅) のネーランジャラー (尼連禅)河のほとりにて、もとの樹下にましました。

それは、まさに正覚を成じたまいし時のことであった。

その時、世尊は、ただ独り坐して、静かなる思いの中に、かかる思念をなしたもうた。

「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして見がたく悟りがたく、微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである。しかるに人々は五欲を楽しみ、五欲を喜び、五欲に躍る。かかる人々には、この縁起の理は見がたく、この涅槃の理は悟りがたいであろう。

もしわたしが法を説いたとしても、人々はわたしの言うところを了解せず、私はただ疲労困憊するのみであろう。」

かくのごとく思念して、世尊の心は黙止に傾き、説法せんとは欲しなかった。

その時、梵天は、はるかに世尊の思うところを知って、かく考えた。

「ああ、世間は滅ぶるであろう。ああ、世間は滅ぶるであろう。

いまや世尊の心は、沈黙に傾きて、法を説くことを欲したまわぬ。」

かくて梵天は、たとえば力ある男子が、屈した腕を伸ばし、また伸ばした腕を屈するように、たちどころに、梵天界より姿を没して、世尊のまえに現われ、世尊を合掌礼拝して言った。

「世尊よ、法を説きたまえ。世尊よ、願わくは法を説かせたまえ。

世間には、その眼の塵垢に蔽わるること少なき人々もある。

彼らは、法を聞くことを得なかったならば退き堕ちるであろう。

されど、彼らは、聞くことを得ば、悟ることができるであろう。」

その時、世尊は、梵天王の勧請を知りて、衆生に対する哀憐の心を生じ、覚者の眼をもって、世間を眺めたもうた。

そこには、塵垢おおい者もあり、塵垢すくない者もあった。

利根の者もあり、鈍根の者もあった。

善き相の者もあり、悪しき相の者もあった。

教えやすき者もあり、教えがたき者もあった。

その中のある者は、来世と罪過の怖れを知っていることも見られた。

そのさまは、譬えば、蓮池に生いる青き、赤き、また白き蓮の花が、あるいは水の中に生じ、水の中に長じ、水の中にとどまっているもあり、あるいは水の中に生じ、水の中に長じ、水面にいでて花咲けるもあり、またあるいは、水より抜きんでて花咲き、水のために汚れぬものもあるに似ていると思われた。

かくて世尊は、偈をもって梵天王に答えて言った。

「いま、われ、甘露の門をひらく。

耳ある者は聞け、ふるき信を去れ。

梵天よ、われは思い惑うことありて、

この微妙の法を説かなかったのである。」

これを聞いて、梵天王は、世尊はわが願いを許したもうた、世尊は説法を決意したもうたとて、世尊を拝してその姿を没した。」

というものであります。

これを「梵天勧請」と申します。

このお釈迦様が、衆生に対する哀憐の心を生じたところから仏教が始まるのであります。

これこそが、お釈迦さまのお慈悲の心にほかなりません。

仏教はその始まりから慈悲の教えであります。

仏光国師の出山像の讃もまた、慈悲の心を讃えているのであります。

この釈宗演老師の描かれた出山像は、東慶寺に所蔵されていて、毎年成道会の頃に拝見していました。

近年古美術商のご縁で、ほぼ同じものを私も所蔵することができてこうして成道会の時にかけては拝んでいます。

 
横田南嶺

出山像

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