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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.09
今日の言葉

降魔

苦行を捨ててヒッパラ樹のもとに坐ったお釈迦さまには、魔の軍勢が襲ってきました。

<魔>とは、死あるいは殺を意味するサンスクリット語マーラに相当する音写であります。

岩波書店の『仏教辞典』によれば、もともと「魔」という漢字はなかったらしいのですが、この「マーラ」という梵語を当てるために作られたというのであります。

「魔」というのは「人の生命を奪い、仏道修行などもろもろの善事に妨害をなすというのがおそらくはその根本性格」としています。

お釈迦さまを襲った魔は、まず美しい女性でありました。

三人の魔女を遣わしてお釈迦さまの心を乱そうとしました。

薄い衣で、瓔珞の花で美しく着飾った妖艶な魔女等を近づかせて、あらゆる媚の限りを尽くして、優しく舞い麗しく歌ったのでした。

大法輪閣の『仏教聖典』には、

「春は来ぬ、春は来ぬ、日のひかり暖かに、若芽ぞ萌え出でぬ。

好き君よ、いかなれば、若き楽を捨てて、遠きさとりを求め給う。

美しの、われらを見ずや、浮世をはなれし、仙者さえも、愛染の心、起こせしものを。」

といって誘惑したと書かれています。

しかしお釈迦さまはそのような誘惑に心動かされることなく、

「あなた方は今善き果報によって、よい身を得ているけれども、やがて無常なるがゆえに老いと死に襲われてしまうだろう。

姿形は妖(あでや)かであるけれども心はただしくない。

それは美しい画を描いた瓶に、臭い毒を盛ったようなものだ。

欲は身を亡す本、死して悪道に堕つる因(たね)である」と告げたのでした。

すると、忽ち三人の美しさは失われ、浅ましい老婆の姿と化(かわ)ったというのです。

更に悪魔はお釈迦さまに告げました。

こちらも『仏教聖典』には、

「痩せ細るおんみの、顔の色の悪しさよ。げに死は近し。
おんみには、死せるぞ多く、生けるや少なし。
生きよ、 生くるこそ善けれ。 生きて、善きことをなせ。
清き行なして、火に事うれば功徳多きに、いかなればかく、徒らに励むや。道行き難く、はた成し難し。」

と書かれています。

それに対してお釈迦さまは毅然として、悪魔を叱りつけました。

「悪魔よ、放逸の奴隷よ、どうして私のところにやって来たのか。

私に要はない。

信仰と精進と、智慧をもって、道に励んでいる私にどうして生きよと薦めるのか。

流れる河も、熱風に吹かれれば乾くだろうけれども、勤め励む私の血がどうして枯れることがあろうか。

血は枯れ、体からあぶらは失せ、肉は落ちて、そうして心静かにおさまっているのだ。

正念と智慧と明らかに、禅定いよいよ固くなっている。

私はかつて、五欲の楽の極みをつくし、 今や、 その欲に望みはない、この清浄の人をみよ。」

といったのでした。

そして悪魔の軍勢を次のように言っています。

「汝の第一軍は楽欲ぞ、第二軍は不快なり、第三軍は飢渇ぞ、第四軍は渇愛、第五軍はこれ懶惰、第六軍は怖畏ぞかし。

第七軍は疑なれや、第八軍は虚栄と剛情、第九の軍は名利にて、第十軍は自讃毀他なり。

悪魔よ、これは、 汝の軍、汝の武器なり。勇者は勝ちて折伏し、安きにこそは、至り得め。」

というのであります。

悪魔の軍勢というのは、第一には、楽しみにふけろうとする欲であります。

第二は、身心に感じる不快であります。

どれも心をかき乱すものです。

第三の飢えと渇きもまた心をかき乱すものです。

第五の懶惰というのは、ものぐさでだらけて怠ける心であります。

第六の怖畏というのは恐れであります。

第七の疑いというのは、この道でいいのだろうかと疑心暗鬼になることです。

第八の虚栄と強情とは、見栄を張ったり、かたくなな心であります。

第九は名利を求める心です。

第十の自讃毀他というのは、自分のことを誇り他人をさげすむことであります。

これら皆が魔となって修行を妨げるのであります。

皆自分の心が引き起こすものにほかなりません。

のちにお釈迦さまが『法句経』に

「戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。」(ダンマパダ103)

と仰せになっているように、自己に打つ勝つしかないのであります。

お釈迦さまは、どこまでも毅然として

「大いなる象に乗り、全軍を率いて来たりし悪魔よ、いざ戦え、われ勝たん。汝は我をみだすことなし。」と言っては戦い、そして魔に打ち勝ったのでした。

とうとう悪魔はこの戦いに勝ち目のないのを見て、悄然として悲しんだのでした。

「七年もの間世尊を追いかけてきたけれども、正しい念いに住しているので、このさとりを求める人には隙を見出すことができなかった。

それは、あたかも柔らかい肉に似た石があって、鳥が集って、それを啄んで甘い味を得ようとしても、その味を得ることはできずに鳥が去ってゆくようなものだ。自分たちもその石を啄もうとした鳥のようなものだ」といってすごすごと消えたのでした。

こうして悪魔に打ち勝ってお釈迦さまは、心の平安を得て、深い坐禅に入ってゆかれたのでした。

そして煩悩を滅ぼし尽くす智慧につとめて、世の中は苦であること、そして苦の原因は何であるか、これは苦の滅することによって安らぎのあること、そして苦の滅に達する道をそれぞれ明らかにされました。

これが後に四諦の説法となります。

こうしてこの明らかな智慧によって心は愛欲と無明から脱れて既に解脱したのでした。

そこで「生は尽きた、清らかな行は成し遂げた、なすべきことは成し終わった、之が最後の生で、この後再び迷の生を受けることがない」という智慧を得られたのでした。

毎年臘八摂心の終わり頃になると、このお釈迦さまの降魔の話をしています。

そうして自分自身もお釈迦さまをお慕いしてこの道を変わることなく歩むのだと心に誓うのであります。

 
横田南嶺

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