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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.11.15
今日の言葉

「宗教は怖い」は怖い

毎日新聞の十一月八日の夕刊に小国綾子さんのコラム記事が載っていました。

その題が「「宗教って怖い」の怖さ」というものです。

小国さんは、その記事のはじめに

「米国で数年間暮らした後、聞き流せなくなった言葉がある。

それは、「宗教みたいで怖いね」。」

というのだそうです。

この言葉はよく使われるように感じます。

小国さんは、

「疑いなく何かを妄信する人々を見た時、日本社会で使われがちな表現だ。

私も渡米前は口にしたことがあったように思う。

でも米国で多様な信仰を持つ友人たちと知り合い、その真摯(しんし)な信仰心に触れるうち、使えなくなった。」

と書かれています。

そして小国さんは、

「帰国後は、「宗教みたいで怖いね」という言葉を聞くたび、「それって、宗教、じゃなくて、カルトみたい、って意味だよね」と返すことにしている。」

というのであります。

まさしくその通りであります。

宗教というのは、ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』に書かれている説をよく引用させてもらってきましたが、貨幣、帝国と共に、人類が今日のような発達をするのに欠かすことのできないものでした。

また個人にとっても、とりわけ死の問題について考える時には、宗教というのは大きな意味をもっています。

もうずいぶん以前のことになりますが、管長に就任して間もないころ、毎月の本山の法話会に、最前列で話を聞いて下さっている老紳士がいました。

後になって、円覚寺の法話会に通うようになったきっかけを伺うことができました。

なんでも、お若い頃海外の出張先で、ホテルに泊まろうとして、フロントで氏名住所などを記入したところ、その記帳の最後に宗教という欄があったらしいのです。

その方は、何気なしに「無宗教」と書いて出したというのでした。
 
すると受付の方が、「無宗教」と書いてあるのを見て、「宗教も持たないような人は泊められない」と言ったのだそうです。

どうしてかと問うと、「宗教も持たない人は何をするか分からない、恐ろしくて泊められない」ということでした。

しかしながら、そのホテルに泊まることができないと、まわりに別のホテルがあるわけではないので大変なことになってしまうそうで、何とか泊めていただけないかと、たどたどしい英語で懸命にお願いをしました。

しかし頑として「宗教も持たない人は泊められない」と言って譲らないのだそうでした。

困り果てて思わず、両手を合わせて、「どうか頼みます、頼みます」と懇願したらしいのです。

すると、フロントの方が、その手を合わせる姿を見て「あなたは仏教徒ではないのですか」と聞いてきたといいます。

思わず夢中で「そうだ、仏教徒だ、仏教徒だ」と言ってどうにか泊めてもらえたというのでした。

仏教について何も知らないのに、仏教徒だと偽って泊めてもらって命拾いをしたので、日本に帰ってから、仏教を学ぼうと思って円覚寺に赴き、当時の管長朝比奈宗源老師のお話を聞きに通い始めたのだという話でした。

「宗教を持たない人は怖い」というその海外の例と、日本では「宗教をやっている人は怖い」というのと大きな違いであります。

怖いのは「カルト」だという小国さんの説はもっともなのです。

しかし、この「カルト」が難しいものです。

何が「カルト」なのか、『広辞苑』には、

①崇拝。

②狂信的な崇拝。「カルト集団」

③少数の人々の熱狂的支持。

という説明だけがあって、具体的ではありません。

特に最近では宗教二世の問題も大きく取り上げられています。

この毎日新聞のコラム記事にも、

「先日、漫画家、菊池真理子さんのインタビュー記事(10月31日夕刊「特集ワイド」)で、彼女の漫画「『神様』のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~」を紹介した。

自身を含む7人の「宗教2世」の半生を丁寧に描いた作品だ。

「宗教2世」の存在を一過性の話題として消費するのではなく、今も苦しんでいる子どもを救いたい。そんな思いで記事を書いた。」

と書かれています。

ついでに、十月三十一日の夕刊も調べてみると、『特集ワイド』で

「今、菊池さんが危惧するのは、旧統一教会だけが追及されて終わること。

「どんな宗教でも、家庭で子どもの信教の自由が侵害されていれば、それは人権問題です。決して旧統一教会だけの話じゃない」

一方、信仰を持つこと自体への偏見が強まることにも危機感を募らせる。

漫画の後書きにはこう書いた。

「親や信者を断罪するつもりはありません。

むしろ彼らを周縁化することには、危惧の念を抱いています。

信仰を持つ人たちのことを、理解できないおかしな人たちと追いやってしまうことは(略)問題をより深刻にすることにしかなりません。

結果として、苦しむ2世も増えるはずです。」」

と書かれていました。

いろいろ考えていると、十一月九日の毎日新聞夕刊に、「田中優子の江戸から見ると」にも田中先生が

「宗教政策が必要」という題で書かれていました。

憲法二十条には、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とあるのは知られていることです。

田中先生は、

「憲法20条にはその後に「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と続いている。これは歴史の反省から生まれた条文である。」と指摘されています。

カルトとは何か、何が狂信的なのかを真剣に考えないといけません。

宗教二世といって、苦しんでおられる方がいらっしゃるのも事実でありましょう。

人権を侵害するようなことはあってはなりません。

ただ決してすべてではないと思います。

真摯に親から学んだ教えを信仰している人もいらっしゃるはずだと思います。

とある宗教団体から取材を受けて、この二世の問題についても聞かれました。

取材に来てくれた方は、二世どころか、六世だというのでした。

親の影響を子どもが受けるのは悪いことではありません。

子どもが親の家業を継ぐ場合が多いのは事実です。

強要されたり、人権を侵害されることはあってはなりませんが、人間は何らかの影響を受けて生きているものです。

もしも親の宗教を素晴らしいと思って、自身も信仰しているというのであれば、何も悪いことではありません。

いろいろとよく学ぶことをせずに、宗教というだけで怖いと思ってしまうことこそ、怖いことだと思うのであります。

宗教によって苦しむ人のことも学ぶべきであり、宗教によって生きる人のことも学ぶべきでありましょう。

無知は、新たな罪を作ることがあるのです。

 
横田南嶺

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