信仰の力 – 玄奘の旅 –
三蔵法師というと、玄奘のことを指す言葉のように思われていますが、もともとは「経・律・論の三蔵に精通した僧」であり、「訳経僧の尊称」として用いられるものです。
多くの訳経僧の中でも玄奘がとりわけ有名だったので、三蔵法師というと、玄奘のことを指すように受け取られているのです。
日本で「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」というように、大師という諡号をいただいた僧は大勢いますが、大師といえば弘法大師を指すようになり、太閤といえば秀吉を指すようになっているのと同じなのであります。
さて、日本でもっとも読まれているお経といえばまず『般若心経』だと思いますが、この『般若心経』も玄奘三蔵法師の訳であります。
『般若心経』の人気というのは、私も実感させられています。
コロナ禍になって沢山の動画を配信してきましたが、もっとも多くの方に見ていただいたのが、なんといっても『般若心経』の講義なのであります。
花園大学での講義している『般若心経』の動画は、第一回が十九万回も再生されているのです。
これは、今も花園大学公開講座というチャンネルで視聴できます。
この『般若心経』を翻訳された玄奘がどんな方かというと、『広辞苑』には、
「唐代の僧。法相宗・俱舎宗の開祖。河南の人。
四大訳経家の一人。
629年長安を出発し、天山南路からインドに入り、ナーランダー寺の戒賢らに学び、645年帰国後、「大般若経」「俱舎論」「成唯識論」など多数の仏典を翻訳。
玄奘以前の訳を旧訳とし、玄奘以後の新訳と区別する。玄奘三蔵。三蔵法師。(602~664)と説明されています。
二十七歳の時に長安を出てインドにいたり、四十三歳で中国に帰って六十二歳で亡くなるまで翻訳に努められた方なのであります。
「四大訳経家」の一人とありますが、これは
鳩摩羅什(344年-413年、又は350年-409年)
真諦(499-569年)
玄奘三蔵(602-664年)
不空金剛(705-774年)
の四名であります。
さて玄奘について、岩波書店の『仏教辞典』でもう少し詳しく調べてみますと、
「はじめ涅槃経や『摂大乗』を学んだが、さらにアビダルマ論(阿毘達磨(あびだつま))や唯識(ゆいしき)学を原典に基づいて研究しようと志し、独力で629年に長安を出発し、艱難辛苦しつつ新疆(しんきょう)省の北路―西トルキスタン―アフガニスタンからインドに入り、中インドのナーランダー寺院(那爛陀寺)でシーラバドラ(戒賢)に師事して唯識説を学び、インド各地の仏跡を訪ね、仏像・仏舎利のほか梵本657部を携え、645年に長安へ帰った」
というのであります。
それからは、
「帰国の年、彼の翻訳事業のために勅命によって建てられた国立翻訳機関としての翻経院において、弟子らと共に仏典の漢訳を開始した。
漢訳されたものは、大般若経全600巻をはじめ75部1335巻にのぼる。」というのであります。
当時、敦煌の北西百キロの玉門関より西にゆくことは禁じられていましたので、国禁を犯しての出国でした。
途中タクラマカン砂漠を越えてゆきます。
『慈恩伝』には、
「あるはずの泉は見つからず、水嚢(水を入れる袋) もひっくり返してしまった。しかも道に迷う。だが玄奘は、
「私は先に誓ったではないか。
インドに達するまでは一歩も東には帰らぬと。
何のためにここまで来たのか。東に向いて生きながらえるより、むしろ西に向かって死ぬべきである」
と思い直して、先へ進んだのでした。
この一歩も東へは帰らないという決意が「不東」の二文字に表わされています。
しかし、どこまで行っても砂漠でした。
五日間水が飲めず、ついに倒れてしまいますが、玄奘は、観世音菩薩を念じ続けました。
すると夜になって涼風が吹き、しばらく行くと草原、そして池が現れたというのであります。
玄奘が頼りとしたのは、観世音菩薩と般若心経だったのでした。
さらに「悪鬼」に襲われた時には、観世音菩薩を念じたけれども悪鬼は去らず、般若心経を唱えると悪鬼も消えたと書かれています。
玄奘は、益州の寺の法師から、インドまで行く道はとても厳しく、砂漠あり高い山脈ありで難しい、しかし般若心経を覚えていれば行き帰りを守ってくれるだろうと、その僧から口づてに般若心経を授かっていたというのです。
『般若心経』はそのようにして功徳のある経典として信仰されていたのでした。
『般若心経』は玄奘以前にも鳩摩羅什によっても翻訳されていたのでした。
興味深いことに、この『般若心経』の梵文の原本は、インドにも他のアジア諸国に見つかっていないのですが、なんと我が国法隆寺に保存されていたのでした。
西暦609年小野妹子がシナから伝来したと伝えられますが、確かではないということです。
もしそうだとすれば、まだ玄奘がインドに行く前になります。
今では7世紀から8世紀頃の写本であろうとされています。
それでも玄奘が翻訳されていた頃に近いものとなります。
今も日本で多くの人によって読まれたり写経されている『般若心経』、インドから持ち帰って翻訳された玄奘三蔵法師などのご苦労あってこそ、今読むことできるのであります。
信仰の力、先人の苦労を思います。
横田南嶺