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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.08.27
今日の言葉

実践人の家

先日実践人の家全国研修大会の講師に招かれて、都内のホテルで講演をしてきました。

実践人の家の研修大会は、かつて2018年にも講演をさせてもらっています。

四年ぶりということになります。

今年は、森信三先生没後三十年ということで、初めて東京で開催されたのでした。

今までは兵庫で開催されることが多かったようであります。

私がかつて講演したときにも尼ヶ崎で開催されたことを覚えています。

実践人というのは、「創開者である森信三の教学に則り、共に学び、実践し、自己の生き方を確かめつつ、いささか社会に貢献し、一隅を照らす使命の実現に努めようとする人たち」のことをいいます。

森信三先生の教学を学び、この実社会で活動されている方々の集まりであります。

森信三先生は、明治29年に愛知県半田市にお生まれになり、平成四年96歳でお亡くなりになった教育者であり、哲学者であります。

本名は「もりのぶそう」と読むのですが、「もりしんぞう」で通っていて、実践人の会でも「もりしんぞう」先生と呼んでいます。

会でいただいたパンレフレットには、森先生のよく知られた言葉が書かれています。

「森信三先生の語録より」として

「人生二度なし」これ人生における最大最深の真理なり

時を守り場を清め礼を正す。これ再建の三大原則なり

逆境は神の恩寵的試練なり

一眼は遠く歴史の彼方へ他の一眼は脚下の実践へ

教育とは流水に文字を書くような果かない業である
だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず一瞬遅すぎない時に

という言葉が書かれています。

森先生の著書として知られている『修身教授録』は、致知出版社で刊行されていて今や十六万部も出ているロングセラーなのであります。

私も修行道場でこの『修身教授録』の読書会を催しています。

全国研修大会は二日間に亘って行われ、一日目の講師は、文部科学省大臣をお務めになった下村博文先生と私なのでありました。

二日目の講師は、渋沢栄一翁の御孫さんである鮫島純子先生と致知出版社社長の藤尾秀昭先生でありました。

常々、講演を頼まれた場合、自分が講演するだけでなく、その前の講演もあれば、必ずそれも聞くようにすること、終わった後の講演があれば、それも聞くようにしています。

もっとも時間の許す範囲でのことでありますが、大事なことだと思っています。

今回も下村先生のご講演を拝聴しました。

下村先生は、文科大臣もお勤めになった見識のある方でありますが、昨今は旧統一教会の名称変更の問題で話題になっています。

講演のはじめに、その問題についてきちんと事実関係をはっきり述べられていました。

テレビのニュースで拝見するのと随分違って紳士な先生であります。

講演で感銘を受けましたのが、下村先生が最近お考えになったという「教育十七条憲法」原案というものでありました。

京都広隆寺の本尊聖徳太子や半跏思惟像を拝んでつくられたということでした。

ご講演のあと、この「教育十七条憲法」原案が素晴らしいので、引用させてもらってもよろしいでしょうかと先生に伺うと、どうぞというご快諾をいただきましたので、実践人の家全国研修大会の講演で示されたものとして、一部を引用させていただきます。

「聖徳太子の十七条憲法は、役人の心得であったが、私の考える 「教育憲法17条」とは、どのように人生を生きていくべきかの人生の指針である。 人生の目標を知り、魂を高めるための新たな十七条である。

これには宗教ではなく、教育というアプローチを用いる。

山に籠るとかお寺に入るとかではなく、日常を生きながら魂を高め、真我を生きるための悟りを求めたい。 生きることそのものが悟りの道に繋がる生き方を希求していこう。」

というものなのであります。

その十七の項目というのが、

一「いかに主体的に生きるか」
二「目標を見つけながら生きる」
三「協力して生きる」
四「多様な人々と生きる」
五「感謝して生きる」
六 「誇りにして生きる」
七「真我をひらく 「真・善・美」」
八「仁・義・礼・智・信」を尊ぶ
九「誠」
十「志」
十一「愛」
十二「和」
十三「孝」
十四「勇」
十五「祈る」
一六「本当の教育とは何かー啓育」
十七「人生のテーマ「カルマ」」

という内容が書かれていました。

宗教ではないといいながらも、「真我」とか「祈る」、「カルマ」という言葉を拝見すると些か宗教的にも感じられます。

「本当の教育とは何かー啓育」という章には宗教について厳しい見解が示されていました。

「本来の宗教の目的とは、一人ひとりをより幸福に導くものであり、人類が愛和し天国のような地上世界を創出することにある。

しかし、逆に、宗教という存在が、 人類の諍い、戦争、揉め事の要因になってしまっており、これからの時代を考えた時、「宗教の時代」から「教育の時代」 への転換が求められる時代がやってくる。

この場合の教育とは、これまで宗教が果たしてきた人類一人ひとりの魂の救済を、より普遍的に行っていくものである。」

と書かれていました。

この言葉は、下村先生のあと私が講演する際に冒頭で使わせていただきました。

大いに反省させられるものであります。

下村先生の深い教育哲学を拝聴することができて実に有り難く思ったのでした。

それから驚いたことには、下村先生は現役の国会議員ですのでとてもお忙しいと拝察しますが、ご自身の講演が終わったあともお残りになって私の講演までお聴きくださったのでありました。

また会場には次の日の講演の講師である鮫島純子先生もお越しになっていました。

鮫島先生は御年百歳でいらっしゃいますが、とてもお元気そうにお見受けしました。

数年前にお目にかかったことがありましたが、お変わりのないご様子でありました。

そんなお年になられても私などの講演も聴いて学ばれるそのお姿に感動しました。

というわけで、お歴々の先生方が並ぶ前での講演となり、かなり緊張しましたが、どうにか拙い話を終えてきたのでした。

森先生の教学を学ぶ人間学塾中之島の講師も多年務めてきていますので、会場に旧知の方も多く有り難い会でありました。

 
横田南嶺

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