仏心の信心
幼少の頃に両親を亡くされて、亡くなった両親はどこに行ったのかというのが、大きな疑問となったのでした。
お寺の涅槃図をご覧になって、お釈迦様がお亡くなりになる時の絵だというのにいかにも安らかなお姿なのがなぜかと寺の和尚に聞くと、お釈迦様は死んでも死んでいないのだと答えられたのでした。
そこから死んでも死なないとはどういうことかを求めて出家して本格的に坐禅の修行に励んで、その問題を解決されたのでした。
それが仏心の世界であります。
「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引きとるので、その場その場が仏心の真只中であります。
人はその生を超え死を超え、迷いをはなれ、垢れをはなれた仏心の中にいるのだ」というのであります。
また「私たちは仏心という広い心の海に浮かぶ泡の如き存在である。
生まれたからといって仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず。
私どもは皆仏心の一滴である。
一滴の水を離れて大海はなく、幻の如きはかない命がそのまま永劫不滅の仏心の大生命である。
仏心の他には大宇宙の中に、蟻のひげ一本も存在しない。
人は特定の神仏を信ずる以前に成仏している。
絶対清らかな仏心の上には人間のいかなる過ちもその影をとどめぬ。」
と説かれたのでした。
そうして、大きな問題の解決を得て、禅の修行を一通り済ませて鎌倉の浄智寺の住職になられたのでした。
その頃に朝比奈老師に一大鉄槌を下した方がいました。
朝比奈老師の著書『覚悟はよいか』(PHP研究所)から引用します。
「儂が三十一歳のとき八十歳だった老人だ。
儂が一寺をもち、田舎へ帰って法事の席で儂は儂なりの心境を語ったとき、この老人にぴしゃりとやられたんだよ。
いや、当人には、儂に鉗鎚を下すという気は毛頭ない。
大真面目で、そういう儂と自分の宗教的距離に絶望しただけのことだが、儂にはこたえた。
あんたはいい、という。
あんたは死んでも死なない仏道の真理に目ざめるには、禅さえすればわかるという方法を知り、実際に参禅し、禅によって仏道の真実を得た。
ところが自分には、もうその道をきわめる気力もない、という。
話はそれだけだ。」
というものです。
このそれだけというのが、朝比奈老師にとっては大きな課題となったのでした。
朝比奈老師は、
「坐禅もできないものは、どうなるのか。
仏の悟りから見放されているのか――。
儂は苦しんだな。その苦しみは、あるいは死んでも死なないという課題を抱いて坐禅三昧に入っているよりひどかったようだ。
なぜだ、なぜだ、と自分に問うてな。」
と書かれています。
そんな時に村田静照という浄土真宗高田派の人に出会ったのでした。
そこで朝比奈老師は、
「ともかくこの人に会って、儂は、道をきわめた人にとっては、禅も念仏もへだてのないことを知った。
修行の仏教ではなく、信心の仏教から入った人なのに、一家を成している禅者でもかなわぬ境地なのだ。」
と語っておられます。
「なんと「信心」というものの強さだ。
正直いって修行一途に来た儂には、この信心の世界というものを軽んずる傾向があった。
それが、どうだ。この和上に限っていえば、なまなかな修行より、はるかに強靭なものをもっている。」
というのであります。
村田和上の信心を物語る話がございます。
「村田和上のお寺に、おしげさんという七十を越えたお婆さんがいた。
この人が涙を流して話してくれたのを、儂はこの耳で聞いた」というのです。
どんな人なのか、どんな話かというと
「おしげさんは在家の人で、四日市のお嫁さんだった。
若い夫が、 早く死んだ。その人の家は門徒宗で、後に残った舅も姑も、口を揃えて、死んだ息子は極楽へ行ったという。先祖も極楽、息子も同じ極楽、 そう信じて疑わない。
ところがおしげさんだけが、わからない。安心がわからない。 わからないということは、自分だけは地獄へ連れていかれるのだろうかと、もう心配で心配でたまらなかった。」
というのです。
京都の本願寺にお参りすると、博多に七里恒順和上という立派な方がいるときいて、訪ねていきました。
実際に七里和上の許へ訪ねていったら、伊勢に村田和上が居るのに、なぜわざわざそこを通りこして九州まで来たかと言われたのでした。
そこで村田和上に出会ったのでした。
朝比奈老師の本からの引用ですが
「村田和上は、ちょうど御飯を食べていたそうだな。
おしげさんは、その時の情景をいつまでも憶えていた。
貧乏寺で、お漬け物の菜っ葉を、こう、口にくわえていたという。そんなところへ行って、いきなり信心をうかがった。
「阿弥陀如来は、どんな罪深いものでも救うという誓いをたてておられるっていうこと、本当ですか?」とこういった。
「本当じゃ」
「なにか証拠がありますか」―――。
みんなこうだ。これがいちばん困る問題なんだなあ。
「証」をたてるという。信仰や悟りに証なんて、普通の人間世界の、受取みたいなものがあろうはずはない。いいかな。
そうしたら和上は、うーんといって、
「お前さん子供があるか」という。
「はい、あります」
「学校へ上げたか」
「上げました」
「手続きもしたか」
「はい」
「そのとき、先生とおまえとで、いろんな話し合いがあったろ」
「はい」
「そうか、それを全部、子供が理解していたか? 親と先生とでどんな話し合いがあって、どんな内容があって、どんな手続きがとられたかということを、いちいち子供が心得てなきゃ学校へ入れないか。
仏さまの御誓願もそうだ。 阿弥陀如来の救いの手続きはすっかりすんでいるのに、凡夫はなお不安に思う」
と、こうおっしゃった。
それは、悶々として、ちょうど煮えくりかえっていたお湯の中へ、水をダブンと入れたようなもんで、「うーん」と、これだけでいけちゃった。いままで如来さまの御誓願を疑ったことはまことに申し訳ないと、それでもう泣いて泣いて、嬉しくて嬉しくて・・・・・」
という体験をなさったのでした。
そこで、朝比奈老師は
「儂がのちに「仏心の信心」を提唱するようになったのは、まったくこの人の影響といってよい。
この人によって信心というものの凄さを知り、それによって儂自身が修行して得たものが何であるかを知ったのだ。」
と語っておられます。
朝比奈老師は
「禅は悟らなきゃわからんというのは嘘だ」とまで仰っています。
「禅にだって「信心」の道があっていいじゃないか。
いやむしろ、禅にこそ、信心がなけりゃならん。信心して、仏の悟りに触れたものは、実際に修行して、その悟りに自分で近づこうとすることもできる。
道は、自由だ。自由といえば、これほどの自由はないんだなあ。
この点において、禅こそ、もっともすぐれた大衆仏教であり、人々を救う道だと、儂は思ったのだ。」
と説かれています。
そうして
人は仏心の中に生まれ
仏心の中に生き
仏心の中に息を引き取る
生まれる前も仏心
生きている間も仏心
死んでからも仏心
仏心とは一秒時も離れていない
ということを信じる、仏心の信心を説かれたのでありました。
横田南嶺