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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.08.03
今日の言葉

松原泰道先生の思い出

七月二十九日は松原泰道先生のご命日であります。

お亡くなりになってから、もう十三年になりますが、この日のお墓参りは欠かしたことがありません。

毎年のことながら、七月の末ともなると、梅雨もあけて暑さの厳しい時なのであります。

今年も炎天下でありましたが、お墓にお参りして読経してまいりました。

墓前で読経していると、いろいろのことが思い起こされます。

お墓参りをした後は、先生のお寺である龍源寺にもお参りしてきました。

本堂にお参りすると、いつも龍源寺のご住職が、先生の頂相を掛けてくださっています。

その頂相の前で、読経し礼拝してきました。

龍源寺の本堂にお参りするのも、年に一度のことですが、さまざまなことを思い起こします。

応接室で、お茶をいただきながらお庭を眺めると、これもまたさまざまなことを思い起こすものであります。

松原先生との出会いは、昭和五十五年の三月でありました。

中学を卒業する前の時であります。

その前の年から、NHKラジオ宗教の時間で毎月法句経の講義をされていました。

その講義を十二回拝聴して、とても感銘を受けたのでありました。

仏教というものが、これほどまでに明解であり分かりやすいものかと感動したのでした。

こんな先生に一度お目にかかってお礼を申し上げたいと思って、上京する機会があったので、お手紙を書いてお目にかかることができたのでした。

もう四十年以上前のことでありました。

花が咲いている
精一杯咲いている
私たちも
精一杯生きよう

という色紙を頂戴したのもこのときでありました。

その後も上京の折にお目にかかる機会をいただいていました。

そんなことがご縁となって大学の寮に入るには保証人にもなっていただきました。

月に一度第一土曜日に龍源寺の坐禅会があって、その折には、お忙しい先生でしたが、お寺にいらっしゃって法話をなさっていました。

その坐禅会のお手伝いをしたり、掃除をさせてもらって、ご一緒に食事もさせていただいたものでした。

お寺の庭を眺めていると、その頃のことが思い起こされます。

庭掃除をしていて、たまに先生が声をかけてくださるのが、うれしかったものでありました。

晩年「生涯修行、臨終定年」とよく仰せになっていましたが、その通りでありました。

お亡くなりになる三日前にも近くの喫茶店でいつものように御法話をなさっていたというのであります。

その明くる日に入院なされて、わずかの間にお亡くなりになったのでした。

その入院がはじめての入院だとうかがったのでした。

七月二十九日の午前中にお亡くなりになって、私は東京の白山にある兼務住職をしているお寺にいましたので、すぐさま白山から三田へ都営地下鉄に乗って弔問に出向きました。

あたかもお昼寝されているかのような安らかなお姿だったことを覚えています。

臨終の床にはあらかじめ用意なされていた、遺詞が書かれていました。

「私が死ぬ今日の日は、私が彼の土でする説法の第一日です」というのであります。

八月の三日にお葬式があり、私も長年のお世話になりましたので、参列しました。

松原先生は長年南無の会の会長をつとめてらっしゃったので、その南無の会を代表して池上の本門寺の貫首さまが弔辞を読まれていました。

そのときの言葉が印象に残っています。

「松原先生から教わったことは「ありがとうの一言がまわりを明るくします、おかげさまの一言が自分を明るくします。ありがとう、おかげさま、これこそが南無の精神です」ということだ」というのです。

この一言を聞いて、これほどまでに仏教を明解に説かれる方がいらっしゃるのだと感動して松原先生とのご縁が始まったのだと仰せになっていました。

松原先生は「私たちのいのちは縦横に無数の縁で生かされているのですから、その縁に応えるためにも、他のために出来るだけの事をしていかねばならない」と仰せになっていたことを思い出します。

またこの言葉も忘れられません。

「小さいことでも少しでも悪いことは避け、よいことを勤め、人にはよくしてあげよう、これがみほとけさまの誓いです」

ここに言う「人によくしてあげよう」ということ、これは松原先生のご一生涯を貫いたものだったと思います。

龍源寺にお参りすると、学生の頃毎月の禅の会、軽井沢の坐禅会、或いは原宿の南無の会の喫茶店などで先生のお手伝いをさせていただいたことを思い起こしました。

今思えばどれも懐かしい思い出であります。

当時七十代の先生はお元気そのもので、実に精力的に活動なされ、人々のために法を説いてまわり、それでいてお寺にいらっしゃるときに、朝は午前二時から起きて原稿を書き、精進を続けていらっしゃいました。

ご日常は誠に質素枯淡で、お食事も昼は決まっておうどん、晩もお茶漬けなどでした。

そんな先生のお姿になお一層こころ打たれたものでした。

大学に入った折に、これからも坐禅を続けるのにどこのお寺に行ったらよいかうかがいましたところ、先生は私に「坐禅をするなら小池さんの所に行くといい」と言って、白山道場の小池心叟老師をご紹介下さいました。

これがご縁で小池老師は、私の出家得度の師となりました。

いつしか私は、自分も先生のような道を歩みたいと思い、小池老師のもとで出家することになったのでした。

出会いというのは不思議なものであります。

もしも中学生の時に松原先生にお目にかかっていなかったら、たぶん今の私はいないと思うのであります。

そんなご恩を思うと、まだまだ精進努力しなければ申し訳ないと思うばかりなのであります。

かつて私が僧堂の修行を終える頃に、絡子の裏にこれから私が終身保つ言葉を書いてくださいとお願いしました。

そうしましたら松原先生はすでに満九十歳でしたが、謹厳な楷書で「衆生無辺誓願度」と書いてくださいました。

添え書きで、「私にとってはやはりこの言葉しかありません」と書かれていました。

「衆生無辺誓願度」とは、「生きとし生けるものは限りないが誓ってこれをすくっていこう」という願いです。

先生のこの願いを受けついでいかねばならないと、毎年お墓にお参りするたびに、思いを新たにするところでございます。

 
横田南嶺

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