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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.06.22
今日の言葉

いのちを拝む

神渡良平先生の新著『いのちを拝む』が上梓されました。

神渡先生の御依頼で、巻頭言を書かせてもらいました。

そのついでなのかどうか、著書の帯にも名前と写真も載せてもらっています。

実に恐縮しています。

この本のサブタイトルに、「雪国に障がい者支援の花が咲いた!」とありますように、この本のはじめには、トイレットペーパーの製造で障がい者の自立を実現しているNPO法人支援センターあんしんの話が載せられています。

このあんしんの話が本の中核になっているのです。

神渡先生の「はじめに」の文章の終わりに、

「障がい者のケアの問題は〝いのちを拝む”以外の何物でもありません。いや、人間のいのちけだではなく、生きとし生けるものすべてのいのちを拝むことにほかなりません。

そしてそれは 私たちが先祖からずっと受け継いでいる〝日本文化”のあり方でした。障がい者のケアは欧米の社会福祉のものまねではなく、“いのちを拝む”文化の発露なのです。」

と書かれています。

この本には以前この管長日記でも紹介したセキレイの話が載っています。

2021年の6月19日に書いたものです。

「宇宙の本質は?」という題であります。

神渡先生から送っていただいた「セキレイが教えてくれた宇宙の本質」という文章について書いたものです。

一部を引用しますと、

「神渡先生の知人の方の話であります。

車で車道を走っていると、車道のセンターラインで一羽のセキレイが何かネズミ色のものをつついており、車が近づいても逃げないそうです。

その方は車を停めてよくみると、ネズミ色のものはセキレイのヒナでありました。

ヒナが地面に落ちて、動けなくなっていたのを、母鳥が必死になって飛び立つように促すのですが、ヒナは動かないのだそうです。

車を降りて近づくと、ヒナは危険を感じたのか、あわてて動き出し、更にその方がヒナを追い立てて藪陰に逃げ込ませたというのであります。

すると、驚いたことに、その間母鳥は、二度三度と急降下して襲いかかってきたのでした。

母鳥は、小さな身体で、自分の何倍もある人間に体当たりを試みてヒナを守ろうとしたのです。

その方は、セキレイの母性本能の健気さに涙したという話であります。

神渡先生は、そこで、

「そんな体験談を読んで、私はすべての“いのち”が授かっている母性本能について考えさせられました。

人間も動物も小鳥も虫も、生きとし生けるものすべてがみんなそういう愛を授かっている……。

ということは、すべての被造物の根源である天の本質は愛だということになります。

この全宇宙は無機質な伽藍洞(がらんどう)なのではなく、それを貫いてカバーしているものは“愛”に他なりません。

その愛を、自分の人格の創造主として、具現化することが私たちの務めなのだといえましょう。」

というものです。

この話を取り上げてくださって、更に神渡先生はこの本のなかで、

「私の集まりでそんな話をしていると、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師が、ご自分が主宰されるラジオ講座で採り上げて話をされました。

私の話は禅宗が大切にしている華厳経が説いている壮大な宇宙観を想起させるというのです。

華厳経は、大宇宙は帝網珠といわれる広大な網で覆われており、網の結び目一つひとつにそれぞれ綺麗な珠がついていると説いているそうです。

一つの珠が光るとその光は近くの珠に反射し、その光は更に隣の珠に反射して、光は幾重にも折り重なって全宇宙をカバーしている、と。

透徹した眼差しで見ると、宇宙は帝網珠で覆われて光り輝いているのだというのです。」

と書いてくださっています。

神渡先生の新著を拝読していて、私は鈴木大拙先生の言葉を思い起こしました。

一九六五年に刊行された『禅』(筑摩書房)という本にあるものです。

大拙先生は、

「生命を創造するのは愛である。

愛なくしては、生命はおのれを保持することができない。

今日の憎悪と恐怖の、汚れた、息の詰まるような雰囲気は、慈しみと四海同胞の精神の欠如によってもたらされたものと、自分は確信する。

人間社会は複雑遠大この上ない相互依存の網の目であるが、今の息苦しさは、この事実を自覚しないところから起きていることは言をまたない。」

「それぞれの個人の存在は、その事実を意識すると否とに関わらず、無限にひろがり一切を包む愛の関係網に、何らかのおかげを被っているということであり、そしてその愛の関係網は、われわれのみならず、存在するものすべてを漏らさず摂取する。」

大拙先生は、華厳の帝網珠のことを愛の関係網と表現されています。

更に「愛は肯定である。創造的肯定である。

愛はけっして破壊と絶滅には赴かない。

なぜならば、それは力とは異なって、一切を抱擁し、一切を許すからである。

愛はその対象の中に入り、それと一つになる。

しかるに、力は、その特質として二元的、差別的であるから、自己に相対するものをことごとく粉砕し、しからずんば、征服して奴隷的従属物と化さねばやまぬ。」

と説かれています。

今の時代に読むと一層心に響きます。

更に大拙先生の言葉を読むと

「愛は信頼する。つねに肯定し、一切を抱擁する。

愛は生命である。ゆえに創造する。

その触れるところ、ことごとく生命を与えられ、新たな成長へと向かう。」

「終りにあたり、くりかえして言う。

存在するものすべての相依相関の真理に目覚め、たがいに協力する時、はじめてわれわれは栄えるのだという事実を、まず自覚しようではないか。

そして、力と征服の考えに死して、一切を抱擁し、一切を許す愛の永遠の創造によみがえろうではないか。

愛は、実在をあるがままに正しく見ることから流れ出る。

そこで、われわれに次のことを教えてくれるのも、また愛である。

すなわち、われわれー個別的に言えばわれわれのひとりひとり、集合的に言えばわれわれのすべては、善にあれ悪にあれ、この人間社会に行なわれることの一切に責任がある。

だから、われわれは、人類の福祉と智慧の全体的発展を妨げるような条件を、ことごとく改善もしくは除去するように努めなければならないのである。」

とあります。

『いのちを拝む』には水野源三さんのことも書かれています。

水野源三さんは、九歳のとき赤痢にかかって脳性小児麻痺になり、視覚と聴覚以外のすべての機能を失ってしまったのでした。

「お母さんは幼い源三さんと何とかコミュニケーションを取ろうと模索して、五十音表をなぞりました。

するとお母さんの指が、源三さんが意図する所に来ると、目をしばたいて合図を送ってきたのです。

「あっ、源ちゃんが何か伝えようとしている!」

お母さんは一字、そしてまた一字と書き留めました。すると次第に形をなして単語となり、文章となり、ついに源三さんの気持ちが表現されました。

もう十歳になっていたので、文章を書くことができたのです。」

そうして詩が生まれるようになったのでした。

本書にも「ありがとう」という詩が載せられています。私もよく引用させてもらう詩であります。

ものが言えない私は
ありがとうのかわりに
ほほえむ

朝から何回も
ほほえむ

苦しいときも
悲しいときも
心から
ほほえむ

この詩を掲載して神渡先生は、

「返事をすることができない源三さんは、返事する代わりに、にっこりほほえんで受け答えしていたのです。それは誰もが魅了されてしまうほどに、こぼれるような微笑でした。」と書かれています。

『いのちを拝む』、今の時代に是非読んでいただきたい書物であります。

 
横田南嶺

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