ととのえる
このところ毎月お越しいただいて講習してもらっています。
今回ははじめに「ととのえる」ということについて丁寧に教えていただきました。
修行僧達は、椎名先生のように丁寧に「ととのえる」ということについて説明してもらえると理解もできるのであります。
「ととのえる」ということについては、二種類の漢字があると示してくださいました。
これはよく言われるところであります。
整理整頓の整える、調和の調えるなのであります。
はじめに椎名先生がホワイトボードに「整」の一字を大きく書いて、それに関連する言葉を修行僧達に聞いてまわりました。
整列、整理、整頓、整体などの言葉があがりました。
「調」の字についても関連する言葉を聞いてくださいました。
調律、調整、調査、調理などの言葉があがりました。
ところが肝心の「調和」の字を誰もあげません。
椎名先生は、「調和」という字をあげてもらいたいのがわかるのですが、修行僧達は、この「調和」の字が思い浮かばなかったのでした。
私はうしろに坐っていて、誰か早く「調和」と言ってくれないかと念じていましたが、残念ながら誰も思い浮かばなかったのでした。
これはどういうことなのかと私は一人でしばし考えていました。
「調和」ということはもはや失われてしまったのか、はたまたあえて「調和」という言葉を使わなくても「調和」が保たれているようになっているのか、どちらかなと考えていました。
整理の整を漢和辞典で調べてみると、「ととのえる、ととのう。正しくそろえる。きちんとととのった。きちんとまとまってそろっていること。」という意味があります。
正しくそろったという意味だとわかります。
調和の調とは、「ととのえる。ととのう。でこぼこをならして、全体に行き渡らせる。利害や損得のでこぼこをなくして、全体のバランスを取る。バランスが取れる。くせのないようにととのえる。楽器の調子をととのえる。あしらう。からかう。しらべる。全体にまんべんなく目を通す。軍隊や職務・物資を動かしてバランスを取る。」などの意味があります。
バランスがとれることだとわかります。
椎名先生は、整理の整は目に見えるもの、調和の調は目に見えないのだと説明してくださいました。
整理整頓された様子というのは目で見えるものであります。
しかし調和しているということは、目でみえるものだと言えましょう。
この自然界というのは、大自然の大いなる調和の中に保たれているというのです。
そんな中で不調和を自ら作り出しているのが我々なのであります。
調和というのは目に見えないものをととのえることであります。
都会のようなコンクリートの建物の中で自然から離れたところで、自然物である自己が存在していると不調になってしまうのだというのです。
その不調をととのえて調和するようにします。
たとえば食べるということなど、自分の意志でしなければできないことなので、食事を調えようという人は多いのです。
しかし呼吸はしようとしなくてもできるので、調えようと意識することは少ないというのであります。
たしかにその通りで、忘れていてもちゃんと窒息しないようにできていますので、呼吸を調えることには意識が届かないことが多いと思います。
『広辞苑』で「ととのえる」を調べてみると、
「調える・整える・斉える」という三種類の漢字がありました。
一番には「人びとを呼び集めて指揮下に入れ整然と行動させる」という意味があって、これは整理の整でしょう。
二番目に「乱れているものを秩序づける。きちんとした形にする。整頓する」というのがあってこれも整理の整でしょう。
三番目に「(音律などを)合わせる。調和させる。」があってこちらが調和の調でありましょう。
他にも「必要なものを備える。落ちのないように用意する」「相談事を具合よくまとめる」「買いそろえる」という意味がありました。
『広辞苑』では調和の「調」は、必要なものを不足なく揃える、物事をうまくまとめる場合であり、整理の「整」は、乱れたところがないようにきちんとする場合に使うと書かれていました。
目に見えるところから整えて、目に見えないものも調えてゆくというのが理想であります。
そんな説明のあと、ワークが始まりました。
気海丹田腰脚足心を強化する方法を教わり、軟酥の法を実践しました。
軟酥の法とは、白隠禅師が『夜船閑話』に説かれている呼吸法で、イメージを用いた独特の方法であります。
まず頭の上にレンガ大のお薬バターが乗っていると想像します。
ゆっくり深く腹式呼吸をしながら、お薬バターが溶け出して吐く息と共に、大脳、小脳、脳幹、食道から下へと内臓をじわりじわりと浸してゆくイメージで呼吸するのであります。
椎名先生の先導で、行っていると体の芯からぽかぽかしてきて、体のいろんな凝りや違和感もとれてしまって、なんとも言えない心地よい状態になって楽しんでいました。
どういう言葉でどのように指導してゆくのか、椎名先生の講座から学ぶものは大きいものです。
それに何よりも、ご自身の深い体験から来ていますので自信があり、なんとか伝えたいという熱意が伝わってくるのであります。
明るく元気な椎名先生の気をいただけるのであります。
横田南嶺