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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.01.05
今日の言葉

ゆったりとゆこう

PHPの二月号が送られて来ました。

連載を始めて二年目になります。

私が担当している「心に禅語をしのばせて」では、「無事是れ貴人」という禅語を取りあげています。

今月号の特集は、「人生、ラクにいこう! 毎日を心地よくする小さな習慣」というものです。

特集のはじめに「あなたの心の余裕度は?」というチェックリストがありました。

いくつもの質問に、はいかいいえか、AかBを選らんで答えていって診断するものです。

診断結果は、四段階あります。

一番Aは余裕しゃくしゃく、Bはけっこう余裕あり、Cはちょっと余裕ナシ、Dはいっぱい、いっぱいというものです。

私は、あまりこういう診断は好きではないでのすが、お正月でもありますし、試しにやってみました。

スタートからはじめて、四つの質問に答えていってたどりついた私の診断結果は、なんとCでありました。

ちょっと余裕なし、「急がば回れ」

そしてこういうことが書かれていました。

「やることが早いのはいいのですが、性格的にせっかちで焦りやすいタイプのあなた、何をするにも「早く早く」とう思いにとらわれ、心の余裕をなくしがち。「急いては事を仕損じる」「急がば回れ」を座右の銘にして、実践することで、徐々に余裕を取り戻せるはず。」

と書かれていたのでした。

内心、余計なお世話だと思いながらも、しばし考えました。

なぜCになったのか、一番最後の設問が、「服やケーキを選ぶときに決断は?」というもので、答えAはけっこう速い、Bはなかなか決められないとなっています。

これはもう即断即決をもっとうに生きてる私としては、当然Aでありまして速いも速いのです。

この最後の設問で、なかなか決められないと選んだならば、診断結果はBでけっこう余裕ありになっていたのでした。

こんなことで悔しがっても仕方ありませんが、なんでもせっかちと言われるようになったのは、たぶんに修行道場に長くいたことの影響が大きいと思います。

とにかく「早くしろ」「早くしろ」と叱られてきましたし、早くできれば褒められるのであります。

そんなに急いでどこにいくのだと内心思ってはいても、長年そんな世界に身を置いていると、すっかりせっかち気質が身についてしまったのかもしれません。

星野道夫さんの『旅をする木』という本の中にある話を思い出しました。

「たしかアンデス山脈へ考古学の発掘調査に出かけた探検隊の話です。

大きなキャラバンを組んで南アメリカの山岳地帯を旅していると、ある日荷物を担いでいたシェルパの人々がストライキを起こします。

どうしてもその場所から動こうとしないのです。

困り果てた調査隊は、給料を上げるから早く出発してくれとシェルパに頼みました。
日当を上げろという要求だと思ったのです。

が、彼らは耳を貸さず、まったく動こうとしません。

現地の言葉が話せる隊員が、一体どうしたのかとシェルパの代表にたずねると、彼はこう言ったというのです。

「私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。

心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです。」」

という話であります。

思えば私は温暖な紀州に生まれて、もともとはのんびりしていたものです。

四十五歳で管長になるまでは、時計というものを持ちませんでした。

ある時に外に出かけて、帰って来て当時の管長足立老師にご挨拶をしたところ、老師が、「今日は電車が遅れてたいへんだったろう」と言われました。

私が「いえいえ、そんなことはありません。私がホームに着くとちょうど電車がきました」と答えると、老師があきれた様子で「それは三十分前の電車が遅れて着いたのだよ」と言われました。

そう言われて、時計も持たず、時刻表も見ない私には、なにも気にならないのだ思ったものでした。

足立老師は、電車にお乗りになるにしても、何時何分の電車に乗ることを緻密にお考えになっていました。

乗り換えの時にも、あらかじめ電車の何両目に乗れば、乗り換えが早いとかそこまで考えておられました。

私は、時刻表もみない、降りたら降りたところで考えるという、実に暢気なものでありました。

しかし、そのような老師に長年お仕えしなければなりませんでしたので、知らず知らずのうちにせっかちがうつってしまったのかもしれません。

管長になって、まず時計が無いと暮らせなくなりました。

予定表を持たなければならないようになりました。

そのうちに、予定表がいっぱいになって、自分で管理しきれなくなってしまいました。

気がつけば、寺務所ですべて管理してもらって、その通りにすべて行動しなければならなくなっていました。

そんなことを考えていると、ちょうど一月一日の中外日報という宗教界の新聞に、東京工業大学教授で政治学者の中島岳志先生が興味深いことを書かれていました。

インドのガンジー(1869~1948)の話です。

中島先生の話では、ガンジーが1910年頃に書いた『ヒンドゥー・スワラージ』で、ガンジーは「鉄道なんて要らない」と言っているのだそうです。

どういうことかというと、

「鉄道は速すぎる」というのです。

なぜかというと、「鉄道はまず欲望を喚起する。近隣の人たちに分け与えていた農作物を、高く売れるところへスピードに乗せて売ろうとする。鉄道によって欲望が蔓延し、これにかき立てられる人間が生まれてしまうと。どんどんグローバル化し、遠いところに物が運べることで隣人に対する原理を失っていく。
だから鉄道なんか要らない。」

というのでした。

そして、更に中島先生の話では、ガンジーは「農閑期が重要だ」と言って二毛作にも反対していたのだそうです。

農閑期にゆっくりいろんなことを支度したり、糸車を回したりすることが人間の安定的な生活には重要だということです。

だから近代は速すぎるというのでした。

「よいものはカタツムリのように進むのです」というガンジーの言葉を紹介されていました。

早いことはよいというのは、私たちの修行道場の世界だけではなかったようです。

どうして禅の修行ではなんでも早くしないといけないのか、ちょっと考え直そうと思ったのでした。

新年早々にPHPのチェックリストを行ったのにも意味があるのではと思いました。

というわけで、今年はもっとゆったりと生きようと思ったのでした。

そういいながら、この文章をサッサと急いで書いてしまっている自分がいるのであります。

 
横田南嶺

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