大きな志と小さな感動 – 鏡開きに思う –
一般には、一月十一日が多いのでありましょうか。
なぜ六日なのか、昔からのことなのでよく分かりませんが、一月七日からは普段の修行にもどりますので、その前に松飾りを取って、鏡開きをして気持ちを切り替えるのではないかと思っています。
修行には、盆も正月もないのが原則ではありますが、やはり年末は餅つきがあり、大掃除があり、そして正月には大般若経の祈祷があって、それから年始回りがあってというように、日常とは異なる行事が続くものです。
それらが一段落して、七日からもとの修行にもどってゆきますので、世間ではまた松の内と言われるうちに、鏡開きをするのであります。
円覚寺の僧堂では、いつの頃からか、六日の晩に鏡餅を割って焼いて、ぜんざいを作って皆でいただくのであります。
その時に、これもいつの頃からか分かりませんが、くじ引きをします。
くじをひいて一等に当たったものがぜんざいをたくという習慣であります。
そしてそのくじ引きに景品がついています。
私が修行していた頃は、一等賞だけに、老師の墨蹟をいただくことができたのですが、私が師家になってからは、皆に差し上げようと思って、色紙を書いています。
それぞれに禅語や、論語の言葉などを書いてあげています。
くじをひいて、自分はどんな言葉があたるのか、それをまず一年の初めに覚えるようにしているのであります。
短い言葉もあれば、長い言葉を書くこともあります。
今年書いた言葉で、長いものというと、『論語』にある言葉であります。
士不可以不弘毅、任重而道遠、仁以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎、
訓読しますと、
「士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己れが任と為す、亦た重からずや。死して後已む、亦た遠からずや」
というものです。
意味はどういうことかというと、岩波書店の『論語』にある金谷治先生の訳を引用させていただきます。
「士人はおおらかで強くなければならない。任務は重くて道は遠い。仁をおのれの任務とする、なんと重いじゃないか。死ぬまでやめない、なんと遠いじゃないか。」
ということであります。
仁以て己が任と為すとありますが、私たちであれば、なんといっても四弘誓願を己が任務とすべきであります。
四弘誓願の実践という道はどこまでも遠いのです。
そして実に重いのであります。
これをになって、死ぬまでやめないのだという強い決意が必要なのであります。
弘毅という言葉は、漢和辞典で調べてみると、度量が大きく意志が強いことと説明されています。
この言葉を自らの名にしたのが、広田弘毅でありました。
広田弘毅について、松原泰道先生はよく語っておられたのを思い起こします。
逆境にめげずに生きるという精神であります。
松原先生がお亡くなりなった年に出版された『日本人への遺言』(マガジンハウス刊)では、次のように書かれています。
「元外務大臣で戦犯になった広田弘毅さんが、外務省の欧米局長のときに後の首相、幣原喜重郎に嫌われて人事異動でオランダ公使に飛ばされるんです。
当時はオランダと日本は通商がなかったので、この移動は左遷でした。
皆はこれを心配しましたが、当の本人は平気のへっちゃら。そのときの心境を得意の狂句で呼んでいます。
「風車 風が吹くまで昼寝かな」
風車はオランダのトレードマーク。風車はエンジンを持たないから、いかに精巧であっても風が吹かなければ自分では回れないものでしょう。
彼はオランダへ飛ばされる、オランダは風車が有名、風車は風が吹かないとどうにも仕方がない、風が吹くまで昼寝かな、と詠んだわけですね。」
と書かれています。
この話を覚えていましたので、コロナ禍になった当初、私は、よく「風車 風が吹くまで昼寝かな」の句を引用させてもらっていたのでした。
松原先生は、更に同書で、
「彼はのほほんとしていたけれども本当に昼寝をしていたわけではもちろんありません。
その逆境時に、外交的ないろんな情報を集めて勉強するんです。
そして再び中央に戻ってソ連の大使になったときに、その成果を発揮して成功を収めたのです。
彼は機が熟すのを待ったわけです。慌てることなく、じっくりと。もちろん待つことには勇気が必要ですから、これは大変なこと。」
と解説されています。
決して単なる「昼寝」ではないのであります。
広田弘毅ほどの活躍には及ぶべくもありませんが、私も「風が吹くまで昼寝かな」の句を引用しながらも、外での講演活動などがなくなった分、こうして配信をはじめたのでありました。
お正月にいただいた年賀状にも毎日の法話を楽しみにしていますというお言葉をたくさん頂戴しました。
松原先生は、
「物事にはいいときも悪いときも必ず流れがある。これに抵抗してはダメだと思うのです。
無理して慌ててもいい結果は得られません。たとえ逆境の中だろうと腐らずいれば必ずチャンスはやってくる。
そのときのために努力を続けること。そうした機会をじっくり待てるということも大きな勇気だと思います。」
と書かれています。
それから更に同書には、「解決した人生などありません。
私自身、百一歳になった今でも、どう生きて行こうか、毎日自問自答しています」という言葉があります。
松原先生ほどのお方でも、しかも百歳を超えてもなお、人はどう生きてゆこうかと求め続けるものであります。
しかし、思うように行かないとき、どんな心持ちでいれば腐らずに待つことができるのでしょうか。
このことのヒントもこの本で見つけました。
この話も私の好きな話のひとつなのです。
とある警察官の方の話です。
「今朝、署長から『宿舎から警察署に来るまでに何か感動したことがあるか?』
と聞かれて、私たちはみな『ありません』と答えたら、すごく怒られたというのです。
「生きた人間と向き合う私たちが感動しなくてどうするんだ」と署長が言ったという話です。
松原先生は、「よく見ればなずな花咲く垣根かな」という芭蕉の句を用いて解説してくださっています。
「なずなとはペンペン草のこと。義理にも美しいとは言われない。その花が垣根の隅っこに咲いていた。誰が見ていても見ていなくても、咲くべきときがきたら一生懸命咲いている。それを芭蕉は、熟視して感動したんです。
つまり、その署長の言いたかったことは、何にしても深い感銘を持てるようにならなければ、繊細な心を持つ子どもたちのことなどわかるわけがないだろうということなのでしょう。」
ということです。
そして松原先生は、
「人間は何でもないことに感動できる感受性を持っています。感動すると、そこに希望が生まれ、希望を持つことで、工夫を重ねるわけです。逆に言えば、人間は感動しなくなったら進歩することなどできません。」
と語ってくださっています。
四弘誓願という、生きとし生ける者の苦しみを救おうという願い、尽きることのない煩悩を断ってゆこうという願い、無量の教えを学んでいこうという願い、この上ない仏道を成し遂げようという願い、これは実に広大な願いであります。
まさしく任重くして道遠しでありますが、この大きな志をささえてゆくのが、小さな感動であると思います。
毎日のささいな事への小さな感動が、大きな志を育てていくのものであります。
横田南嶺