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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.12.21
今日の言葉

ふるさと講演

十八日に、故郷和歌山県新宮市で講演をさせていただきました。

新しくできた丹鶴ホールという施設のオープニング記念行事のひとつでありました。

開会には、新宮市の田岡市長もお越しくださり、ご挨拶を頂戴しました。

八百名収容の大ホールに、八百名の方が集まってくださいました。

満席はオープニング以来はじめてだということでありました。

実に有り難いことであります。

ふるさとに帰ってもいろんな思いをなさる方がいると思いますが、こうして暖かく迎えてくださることには感謝するばかりであります。

新しくできた丹鶴ホールというのは、私が卒業した丹鶴小学校の跡地に建てられたものであります。

母校の跡地というのも感慨深いものでありました。

丹鶴の名前の由来は、すぐ近くに丹鶴城というお城があるからだと言われています。

そのお城がなぜ丹鶴城というかというと、丹鶴姫という方がいらっしゃったからだというのであります。

丹鶴姫といっても一般にはあまり知られていません。

来年の大河ドラマが、「鎌倉殿の十三人」というものだそうですが、その登場人物の中に、源行家という者がいます。

新宮十郎行家とも申します。

行家は、以仁王(もちひとおう)が全国にいる源氏に「平家討伐」の命令書を発行しましたが、この命令書を山伏の姿に変装して全国に届けたのでした。

源頼朝の叔父にあたる人なのです。

この行家の姉が、丹鶴姫で新宮にいたのでありました。

講演の前に、新しくできたばかりの丹鶴ホールを見学しました。

この度市立図書館も一緒になって再建されました。

三階が大ホールで、四階が図書館になっているのです。

図書館は、きれいで静かな場になっていて、熊野川が一望できたのでした。

すぐ近くにある丹鶴城址を眺めていると、久しぶりに城跡に登りたくなって、登ってきました。

懐かしい思いでありました。

紀伊半島大水害から十年、かつて暴れた熊野川も静かに流れていたのでありました。

町もすっかりきれいになって、長年の夢だった丹鶴ホールもできあがったのでした。

市長はじめ町の皆さんも安堵されていると感じました。

十年かけてここまでやってこられたご苦労を思いました。

講演は、丹鶴小学校の思い出から話し始めました。

ふるさとが生んだ文豪佐藤春夫作詞の校歌を思い出したのでした。

出だしが

にづるの城の 山かげの
門は川辺に 移しきぬ
流れてやまぬ 川の面の
日に新しき 学びこそ
新日本のいのちなれ

というものであります。

にづるの城というのが丹鶴城のことであります。

丹鶴姫が住んでいたところが、新宮では田鶴原と言われています。

遠い昔には鶴が住んでいたのかもしれません。

そんな話から丹頂鶴の話をしました。

丹鶴は丹頂鶴のことでもあるのです。

丹頂鶴の夫婦のきずなは強いのだそうです。

いったん夫婦になると、どちらかが死ぬまで別れないのだそうで、死んだ後もしばらくは別れることがないというのです。

死んでしまうと動かなくなりますが、生きている方は、死んだ鶴の体にキツネやカラスが近づくと、翼を広げて威嚇し、くちばしでつついて撃退するのだそうです。
骨だけになっても同じ行動をするというのです。

そんなことを新聞の記事で読んだ記憶があるのです。

そこで結婚式には鶴の画を用いたりするのだと思います。

そこから夫婦の愛、そして坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」の話をして母の愛を語りました。

そして、お釈迦様のことば、

「あたかも母が己が独り子を命を賭けても守るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。(スッタニパータ)」を紹介しました。

こんなことは無理だと言われる方もいらっしゃいます。

しかし、決して無理ではないのです。

明治二十三年一八九〇年に日本を訪れた小泉八雲は、当時の日本人について、

「日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。

人生の喜びは、周囲の人からの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要かあるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。」

と『新編 目本の面影』に書かれているのであります。

そのことを実証するのが、和歌山県串本町のエルトゥールル号遭難事故の話であります。

奇しくも小泉八雲が来日したのと同じ年のことです。

オスマン帝国の親善使節が、軍艦エルトゥールル号に乗って、日本・横浜にやってきました。

明治天皇に謁見し、役目を終えた一行は九月一五日出立するのですが、串本の紀伊大島沖に流されました。

そこには船甲羅という岩礁があり、昔から船の難所とされています。

そこで座礁、水蒸気爆発を起こし、沈没したのでした。

五八七名が亡くなり、六十九名が助かったのです。

この遭難に際し、当時の大島の島民は不眠不休で生存者の救助、介護にあたりました。

ときには、自分たちの大切な食料まで提供したといいます。

見ず知らず、言葉も通じない人たちの為に、懸命に救助活動をしたのでした。

これは八雲が指摘したように、今目の前に遭難して苦しんでいる人たちを見放して、自分たちだけが幸せになるということはあり得ない、周りの人が幸せになってこそ、本当の幸せだと知っていたからだと思うのであります。

明治維新以降、近代化を進めるうちに、日本人もだんだん自我意識が強くなって、「自分さえよければ」という思いが強くなっていった一面もあるのではないでしょうか。

我を忘れて人の為にまごころ尽くすのが仏様の心であり、本来人間は誰しも持って生まれています。

人の為に何かをしてあげる、一番手軽にいつでも何処でもできるのが「ほほえみ」であります。

そこから講演のテーマである「ほほえみの種をまこう」という話に展開していったのでした。

 
横田南嶺

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