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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.12.09
今日の言葉

「ヨッチャン」の法話

私が今日こうして僧侶としているのは、ひとえに松原泰道先生との出会いのおかげであります。

松原泰道先生といっても、ご存じでない方もいらっしゃるかもしれません。

明治四十年一九〇七年のお生まれで、平成二十一年二〇〇九年に一〇一歳でお亡くなりになっています。

臨済宗妙心寺派の教学部長を務められ、東京三田の龍源寺の住職であり、南無の会の会長でもありました。

泰道先生のお書きになった『般若心経入門』という本は、当時ベストセラーにもなったのでした。

昭和四十七年の出版でした。泰道先生六五歳の時のものです。

これが、仏教書ブームのきっかけとなったのでした。

著作は百冊を越えるのであります。

私が泰道先生に初めてお目にかかったのは、まだ中学生の頃でした。

紀州和歌山県新宮市で生まれ育った私は、田舎でラジオの先生の法句経の講義を聴いて大変な感銘を受けました。

昭和五十四年の頃であります。

この方に是非お目にかかりたいと思って、法句経の講義を聴いた感謝の手紙を書いたのでした。

そして上京した折にお目にかかりたいとお願いして、三田の龍源寺でお目にかかったのでした。

見ず知らずの田舎の中学生に対して先生は実に親切にご応接下さいました。

その初対面の時に、私は何とも無礼にも、色紙を持っていて

「仏教のお経はたくさんあり、本もたくさんあります。とてもすべてを学ぶことは不可能です。そこで仏教の教えを一言で言い表す言葉を書いてください」とお願いをしました。

今思い出しても冷や汗が出ます。

しかし泰道先生はいやな顔ひとつせずに、短い詩をお書き下さいました。

それは

花が咲いている 
精一杯咲いている 
私たちも 
精一杯生きよう

という詩でした。

そして、

「花はなぜ咲くのか、考えなさい、それは種を残すためとか言われるでしょうが、その花が咲いている姿を見て何かを学ぶことが大切です。

花は与えられた命を精一杯咲いている、その姿を見て自分も精一杯生きようと学ぶことです」と、確かそのようなことをお話し下さいました。
 
はじめはこんな詩の何処がいいのかわからなかったのですが、あれから三十年以上私の修行時代を支える言葉となりました。

何事もとにかく精一杯つとめる、これしかありません。

出来る出来ない結果を問うのではなくて、今精一杯つとめる事です。

その後、関東の大学に入学したために、ご挨拶に参上すると「君はこちらに知人がいなければ、私が保証人になってあげる」と言ってくださり、お言葉に甘えて入学の際の保証人となっていただきました。

当時の先生は文字通り東奔西走、講演に法話に全国を飛び回っておられましたが、毎月第一土曜日の坐禅会には龍源寺にいて法話をなさっていましたので、私は朝から出かけて庭のお掃除をして支度をお手伝いしていました。

お昼を先生と一緒にいただき、終わった後も片付けをして晩ご飯もご一緒させていただいていました。

毎月の禅の会、軽井沢の坐禅会、或いは原宿の南無の会の喫茶店などで先生のお手伝いをさせていただきました。今にして思えば懐かしく、有り難い時でした。

当時七十代の先生はお元気そのもので、実に精力的に活動なされ、人々のために法を説いてまわり、それでいてお寺にいらっしゃるときに、朝は午前二時から起きて原稿を書き、精進を続けていらっしゃいました。

ご日常は誠に質素枯淡で、お食事も昼は決まっておうどん、晩もお茶漬けなどでした。そんな先生のお姿になお一層こころ打たれました。

坐禅会の準備と後片付けや、お庭の掃除をしていると、たまに泰道先生が気づいてくださって、一声かけてくださることがありました。

そんなことが、当時の私にとっては大きな喜びでありました。

泰道先生のご紹介で、白山道場の小池心叟老師のもとに通うようになって、私はそこで出家することになったのです。

そんな泰道先生のお寺でお手伝いに通っていた頃、私にとっては、泰道先生はもちろんのこと、奥様の静子夫人、住職の哲明和尚、その奥様の真紗子様、皆々様は、仏様でありました。

そして、その頃まだ「ヨッチャン」と呼ばれていた幼い子がいました。

泰道先生の御孫さんであります。

龍源寺には哲明和尚の三人のお子さんがいました。

「ヨッチャン」は三男坊でした。

三人は、その後皆僧侶になりました。

松原泰道先生を祖父に、哲明和尚を父にいただくので、自然と生まれながらに良き薫陶を受けてこられたのでしょう。

その三男坊の「ヨッチャン」が、なんと円覚寺派のお寺に入ることになったのでした。

まだ幼い頃を知る私にとっては感慨無量でした。

もう今から十数年も前のことです。

「ヨッチャン」は立派に布教師にもなったのでした。

おじいさまの泰道和尚が妙心寺派の教学部長を務められたように、「ヨッチャン」にも是非とも円覚寺派の教学部長になってもらいたいと思っていました。

私が管長に就任してから、何度か打診してみたのですが、うまく調整ができずにいました。

それが二年前に、ようやく円覚寺派の教学部長に就任してもらったのでした。

これから大いに活躍してもらおうと思っていたところ、新型コロナウイルス感染症が拡大して、所謂コロナ禍となってしまったのでした。

昨年の十一月の功徳林坐禅会で法話をしてもらい、動画で配信して多くの方に視聴してもらいました。

今年もまた、法話をしてくれました。

それがこの度公開している「仏心のありか」という法話であります。

この法話の中で、まだ幼い教学部長の「ヨッチャン」が、おじいさまである泰道和尚に質問をする場面があります。

そこで、久しぶりに「ヨッチャン」という名を耳にしました。

法話を拝聴しながら、在りし日の泰道先生の面影、まだ幼かった「ヨッチャン」のことなどが次々と思い浮かび、目頭が熱くなりました。

おじいさまと「よっちゃん」の問答が素晴らしいのです。

そしてそこから、私たちの本来具わっている「仏心のありか」を見事に説いてくれていました。

泰道先生がもしお聞きになったら、どんなに喜ばれるだろうかとしみじみ思いました。

どうぞ皆さまにもお聞きいただきたくお願い申し上げます。

 
横田南嶺

「ヨッチャン」の法話

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