お釈迦様の悟り
仏道を成じた日ですので、成道会という法要を行います。
修行道場では一日から禅堂にこもって坐禅に集中して、八日の明け方まで坐禅をします。
そして、八日に成道会を行うのであります。
例年ですと、一般の皆さまにも仏殿にお入りいただいて法要を務めますが、今年も僧侶のみにて行います。
一週間、坐禅に打ちこんできた修行僧には、本来ならば一番出てもらいたい法要なのですが、修行僧が大勢参列するのも憚られますので、本山の和尚様方のみで行うのであります。
修行僧達が成道会に参列できないのが可哀想なので、僧堂で修行僧たちだけの成道会を行うようにしています。
私は、その両方をお勤めさせていただきます。
一日から八日までの坐禅修行を臘八大摂心と呼んでいます。
臘八の間には、毎日五回禅問答の時間があります。
普段朝と晩の禅問答を行うのもたいへんですが、一日に五回も行うのは、更にたいへんです。
もっとも修行僧が必ずしもすべて行わなければならないわけではありません。
ただ、私だけはずっと禅問答を受け続けなければなりませんので、修行僧たちのおかげでこちらも鍛えてもらえるのであります。
臘八の時期には、毎回お釈迦様の難行苦行の話を致します。
お釈迦様は小国ながら王子でありました。
その位を捨てて出家して、道を求められました。
インドは哲学と宗教の国ですので、さまざまな哲学者宗教者がいました。
とりわけ当時アーラーラ・カーラーマ、ウッダカ・ラーマプッタという二人の者が有名でした。
この二人のもとで修行に励みますが、お釈迦様のお心は満足できませんでした。
さらにお釈迦様は、自ら苦行の道を選ばれました。
自分のからだを痛め苦しめて解脱をはかろうとしたのです。
初めは断食に挑みました。一日に一食とり、また半月に一食取り、さらには一月に一食取り足を組み威儀をただして坐り、雨風にも稲妻にもめげずにただ黙然と挑みました。
やがて体はみるみる痩せてきて、手足はまるで枯れた蘆のようであり、尻はラクダの背のようになり、そして背骨は編んだ縄のように顕れ、肋骨は腐った古屋の垂木のように突き出て頭の皮は熟し切らないひょうたんが日にさらされたようにしわんで来たといいます。
それでも、ただ瞳のみは落ちくぼんだ深い井戸に宿った星のように輝いていました。
このお釈迦様の苦行の様子を彫刻で表したのが、パキスタンのラホール美術館に伝わる苦行像です。
その頃のお釈迦様は、腹の皮をさすれば背骨がつかめ、背骨をさすれば腹の皮がつかめたと言います。
また、立とうとすればよろめいて倒れ、根の腐った毛ははらはらと落ちました。
あらゆる苦行をなされた甲斐もなく六年の歳月は過ぎました。
お釈迦様はいたずらに肉体を苦しめるより食を取り身体を養い心の上から悟りを得ようとお考えになって、尼連禅河に沐浴し、スジャータという少女から牛乳でつくったおかゆの供養を受けて、そこで草を刈っていた童子に枯れ草を供養してもらいそれを座布団のようにして坐り、ここで正しい悟りが得られるまではこの坐を立たないと決心してお座りになりました。
そこに悪魔の王があらゆる手段を講じてお釈迦様を誘惑しようとしました。
最初に美しい魔女を三人薄い羽衣を着せてお釈迦様に近寄り媚びの限りを尽くします。
悪魔の軍勢はさらにお釈迦様を襲います。第一の軍勢は楽欲です。第二の軍勢は不快、第三の軍勢は飢渇、第四の軍勢は渇愛、第五の軍勢は懶惰、第六の軍勢は怖畏、第七の軍勢は疑い、第八の軍勢は虚栄と強情、第九の軍勢は名利、第十の軍勢は自讃毀他、自分を褒めて他人をけなすこと。
これらの軍勢とお釈迦様はことごとく戦われました。
お釈迦様のお心は微動だにせずについに悪魔の軍勢も空しく去りました。
悪魔は、我七年世尊を逐えども正念に住せる悟りの人に、つけいる隙を見いだせなかっと言いました。
ついに十二月八日明けの明星を見てお釈迦様はお悟りになりました。
さてお釈迦様は何をお悟りになったのでしょうか。
椎尾弁匡僧正の『仏教の要領』にある言葉を引用します。
伝えるところによると、釈尊は暁の明星出づる時、廓然として悟られたという。このことは暁でも昼間でも夜でも、時期そのものには何等問題はないので、自己の暗黒の心中に太陽の昇る気持ちを表現したものであると思われる。
大自然は無量の条件が和合する上に成立している。
この身も、この心も、わが所得するものではない。自己の心身は大自然の和合の上に現れている。
茲に至って、真の自然人となり、一切の束縛を脱することが出来る。
既にここにあっては、大自然の総ゆる力に順って活動することができる。
それは自己が動くのでなく、天地の力が動くのである。この天地の力こそ、進んで止まざる大生命である。斯かる心境に達するとき、両手はおのずから合掌されて、われは天地の恵みなり、われは天地の生命であるとの躍動が湧く。そこには帰依、合掌、廓然大悟があるのみとなる。
我という小さなものの生き死に悩んでいたのですが、明星を一見して自我を越えた大いなる大生命に目ざめたのであります。
お釈迦様のお言葉に
この、苦しみの家を、作るものを求めて見つけ得ず。
輪廻の轍廻り廻りて、苦しき生を幾度重ねし。
されどいま、汝、家を作るものよ。
見い出せり、再び家を作るなし。
すべての垂木折れ、棟壊れぬ。
こころ、愛欲を離れて、涅槃にいたれり。
とあります。
そんなお釈迦様をおしのびする本日、成道会であります。
横田南嶺