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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.08.01
今日の言葉

正受老人を学ぶ

八月七日に、長野県飯山市で正受老人の三百年遠諱を記念して講演会が行われます。

恐れ多くも、私が講師を務めさせてもらうことになっています。

かつて五十年前の、正受老人二百五十年遠諱のときには、山田無文老師が記念講演を勤めていまして、そんなことを思うと、なお一層、恐れ多い気がしています。

そんなわけで、このところ専ら正受老人のことを勉強しているのであります。

そうしていると、ますます「わからなくなる」のだと以前書いたことでありました。

わからくなって、なおわからなくなって、それでもなお学んでいるのであります。

調べてみると、2017年に飯山市美術館で正受老人の特別展が行われました時に、「この人なくして白隠なし 正受老人と白隠禅師」という題が掲げられていました。

正受老人がいなければ、白隠禅師はいなかったという意味であります。

今日臨済宗が伝わっているのは、白隠禅師のおかげなのであります。

臨済宗はただいま十四の派に分かれていますが、南禅寺派であろうと、建長寺派であろうと、東福寺派であろうと、建仁寺派であろうと、円覚寺派であろうと、その教えの内容は、白隠禅師の伝えられたものを受け継いでいるのであります。

それほどに白隠禅師の功績というのは大きいものなのです。

その白隠禅師を鍛え上げたのが正受老人であります。

そのように白隠禅師の師として見られる正受老人でありますので、まず第一は、そもそも正受老人というのはどんな人であったのか基本的なことをお話しようと思っています。

今回は飯山市という正受老人の地元でお話しますので、基本的なことは知っているという前提で話してもいいのですが、オンラインでもライブ配信をするというので、やはり基本的なことも話しておこうと思っています。

それから二番目には、正受老人と私とのご縁を少しお話させていただこうと思っています。私も正受老人には思い入れがあるのであります。

それから、三番目に白隠禅師が語っておられる正受老人についてお話させていただきます。

おもに正受老人について伝えられていることは白隠禅師が語られたことが多いのです。

そして、四番目には極めて資料が少ないのですが、白隠禅師から見た正受老人ではなく、正受老人その人はどんな方だったかについて考察したいと思います。

そこでは主に正受老人の残され偈頌をもとにしてその人となりを考察してみようと思っています。

そして、五番目に正受老人についての問題点について話をさせていただこうと思っています。

その問題点を考察することによって、今日の禅の問題も明らかになるのではないかと思っているのであります。

そんな次第で調べているのですが、勉強していると、毎日正受老人と白隠禅師とのお叱りを受けている思いになるのであります。

とにかく厳しいお言葉がたくさんございます。

もっともそれらは白隠禅師が正受老人に言われたこととして伝わっているので、厳しい言葉になっているのだと思います。

少し紹介しましょう。

『息耕録開筵普説』に残された言葉を現代語訳して紹介します。

「私がよって立つこの禅宗は、中国南宋末に衰え廃れて、どうにか伝わって大明に至って、そこで徹底してなくなってしまった。絶滅し損った残りの悪毒は、この日本にあるとは言っても、真昼に北斗星を見るようなもの。
お前らのような鼻もちならぬ、根本の見えない出家、役立たずの凡夫には、夢にも知られないことだ」

「お前らは見かけだけの人間だ。禅を修しているようで禅が分らない。教理を学んでいるようで教の学問もいかげんだ。律を学ぶようにみえて律も身につかない。孔子の教えを学んでいるようでそれも分っていない。一体何に似つかわしいのか。私に言わせれば、衣桁にぶら下った飯袋だ」(中央公論社『大乗仏典』第二十七巻白隠 常盤義伸訳)

 臨済の禅は、鎌倉時代に中国から日本に伝わりました。

初めの頃は、鎌倉の武士や、或いはご皇室の方などが禅を学ばれていたのでした。

 このようにご皇室や、幕府の方に支持されてきましたので、禅宗は手厚く保護されてきたと言えます。

しかし、この手厚く保護されることが長く続くと、堕落するという一面もございます。

いろんな事情が相俟ってのことでありますが、私たちの臨済の禅は、江戸期には衰退していたということができます。

そんな中で、こんなことではいけないと正受老人や白隠禅師が出られたのでした。

正受老人が白隠禅師に語ったものに、このような言葉もございます。

正受老人は、「不断坐禅」ということを強調されていました。いつも断えず坐禅するということです。

「いつも中断することのない坐禅を学びたいと思ふならば、矛などの武器を取って争ふ戦場でも、声を放って泣き叫ぶ悲しみの部屋の中でも、相撲や跳躍の競技の場所でも、音楽や舞踊の席に入っても、いろいろ思案をすることなく、あれこれ考へることなく、すべてを一束に束ねて公案の一則として、一気に進んで退かず、たとへ悪魔や大力の鬼に肘や腕を捉へられたまま、三千大千世界を百回千回振り回されようと、正念工夫を一瞬間も失わない者、これを名づけて真の玄々微妙の真理を究めようといふ僧侶であると言ふのだ。昼も夜も冷静な顔付をし、眼の玉をはっきりと対象に据て、毛筋ほども動かさずに居れ。頼みましたぞ。」
(『日本の禅僧無難・正受』市原豊太訳)

ただ静かな環境でじっと心を澄ませてそれでいいというようなものでは全くないのであります。

合戦場の最中でも、今でいうところの激しいスポーツ競技の最中でも、正念を片時も失わないようにするのであります。

大力の鬼に、臂をつかまえられて世界を振り回されても、正念を失うなというのですから、譬えが激しいのであります。

こういう言葉ばかりを拝読していて、毎日毎日正受老人に、「お前の坐禅はそんな程度でいいのか」とお叱りをいただいている思いなのであります。

これもまた有り難し、本場の飯山市にうかがった折には、直に正受老人のお叱りを受ける覚悟なのであります。

 
横田南嶺

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