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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.06.05
今日の言葉

無分別の世界

夏期講座の最終日は、無門関第四十八則、乾峰一路の公案でした。

管長に就任してから、毎年無門関を夏期講座で四則ずつ講義をしてきて、これで最後の四十八則になりました。

実に感慨無量でありました。

この四十八則が、難しい問題であります。

乾峰和尚というお方は、洞山良价禅師のお弟子であると伝えられています。

洞山禅師は、曹洞宗の祖と言われる方であります。

乾峰和尚の生没年は分からないのですが、お師匠さんの洞山禅師は、八〇七年にお生まれで、八六九年にお亡くなりになっています。

乾峰和尚は、そのお弟子でありますので、九世紀から十世紀頃の中国で活躍された禅師であります。

その方があるときのお説法で、

「十方薄伽梵、一路涅槃門。未審し路頭甚麼の処にか在る。」

と仰いました。

薄伽梵というのは、梵語のバガバットを音写したものです。

福徳ある者、聖なる者というのが本来の意味です。

古代インドでは師に対する呼びかけの言葉として用いられていました。

仏教では、世尊という言葉がよく使われます。

萬徳を有し世に尊敬される方ということであります。

お釈迦様のことをこのように尊崇してお呼びしたのであります。

十方の薄伽梵というのですから、十方世界の仏さま方ということです。

もともと世尊、釈尊というとお釈迦様お一人でありましたが、大乗仏教になると、たくさんの仏さま方が登場して参ります。

十方というあらゆる方向に仏さまがいらっしゃって、みなこの一つの道を通って涅槃に入ったというのです。

涅槃は、もともと、「古くは煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ、悟りの境地」をいいます。

経典には「涅槃とは何か。煩悩の根本といわれる貪欲の滅、瞋恚(怒り)の滅、愚癡の滅をいう」とありますように、三毒を止滅した状態をいうのであります。

悟りの世界であります。

この「十方薄伽梵一路涅槃門」という言葉は、『首楞厳経』にある言葉であります。

その言葉を引用して、あらゆる仏さまが辿った涅槃への一すじの道とはどこにあるのでしょうかという問いであります。
 
それに対して乾峰和尚は、杖を手に取ると、ぐいっと一線を引いてから「ここにあるぞ」と言ったのでした。
 
さて、ここというのはいったいどこのことでありましょうか。

空理空論ではないぞ、ここにあるぞ、足元を見よということでありましょうか。

この問題を雲門禅師に改めて問いました。

雲門禅師も古い禅僧でありまして、西暦八六四年から九四九年にかけて活躍された方であります。

この乾峰和尚とは同時代の方なのであります。

僧がこの問題を雲門禅師に問うと、雲門禅師は実に摩訶不思議なことを言われました。

扇子を取り上げて言われました、扇子が飛び上がって三十三天にまで上って帝釈天の鼻を突く、東海の鯉がバシャッと海面を打てば、バケツをひっくりかしたような土砂降りだと言ったのです。

およそ何のことやらさっぱり分かりません。

扇子が飛び跳ねただの、鯉が跳ねて大雨になっただの、常識では考えられない話で、これだから禅は訳がわからないと言われるのかもしれません。
 
これらの話はいったい何を表しているのでしょうか。

強いて意味を読みとるとすれば、この扇子が、飛んで天に住む帝釈天の鼻を衝いたというのは、衝天の気と申しますが、勢い、天を衝くという気概、気迫が大切だと読みとることもできます。

帝釈の鼻を突くくらいの勢いであります。

東海の鯉がバシャッと海面を打てば、バケツをひっくりかしたような土砂降りだというのは、何でありましょうか。

風が吹けば桶屋が儲かるなどという言葉がございます。

強い風が吹くと土埃がたって、それが目に入って眼を患う人が増える。

すると昔は目も見えない人は三味線を弾いたりしましたので、三味線の需要が増える。

三味線を作るには猫の皮が欠かせないため、猫が減ってしまい鼠が増える。

増えた鼠が桶をかじってしまうので、桶の需要も増えて桶屋が儲かるというのです。

物事は関わりあっているということです。

事実今日でもエルニーニョ現象などと申しますと、ペルー沖の海面付近の水温が異常に高くなる現象のことで、このときは日本は夏涼しく冬は暖冬になります。

遠く離れて関わりがないように見えて、影響があります。

一茶の句「花の陰赤の他人はなかりけり」で関わりのないことはないのです。

私たちの今の行いが、世界全体に影響を及ぼすのであります。

ただそのように理論付けて解釈すると、禅は死んでしまいます。

あえて奇抜な表現をするのは、理論で考えることをやめさせる為でもあります。

分別は、文字通り分けることです。

分けて比較して、争うのです。これが苦しみの世界を作り出します。

今のコロナ禍が増幅させたもののひとつに、この差別、対立があります。

その対立軸で争うのが禅、仏教の立場ではありません。

一見訳の分からぬような禅問答は、知識分別では届かない世界を説いています。

それは無差別、無分別、平等の世界です。

無分別の世界は、差別のない平等の世界であって、風が吹けば桶屋が儲かるというように、一々関連を説明しなくても、お互いは皆つながりあって一つになっているのです。

これは理論ではなく、直観です。

分別で考えてつながりあっているというのではなく、無分別の世界ですから、そのままここで、コツンとなれば、世界に響くのです。

この世をいかに明るくするか、いくらあれこれ考えても暗くなるばかりです。

今目の前のゴミを拾えば、世界はきれいになる。

今私がほほえめば世界がほほえむ、

今私が明るい心で生きれば世界が明るくなる。

涅槃、真実悟り、平安への道は一本道です。

天を衝く志を持って生きれば、道は必ず開かれる、

今私がほほえめば世界が明るくなるのだという、

こういう所を味わいたいのであります。

 
横田南嶺

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