心残さず帰る ふるさと
マンションで死にロッカーの墓へ行く
という句がありました。
今の世相を上手に詠った何とも物寂しい句でありますが、死んでどこへ行くというのは永遠の課題でもあります。
お釈迦様は、
虚空(そら)にあるも 海にあるも はた 山間(やまはざ)の窟(あな)に入るも およそ この世に 死の力の およびえぬところはあらず (法句經一二八)
と仰せになっています。
人は誰しも死を免れることはできないのです。
しかし、お釈迦様が若き日に、
愚かな者は、自ら死ぬ身であり、死を免れることはできないのに、他人の死を見れば、おのれのことは忘れて、厭い嫌う。
考えてみると、わたしもまたやがて死ぬ身である。死ぬことを免れることはできない。
それなのに、他人の死をみて厭い嫌うというのは、わたしとしてふさわしいことではない。比丘たちよ、そのように考えたとき、わたしの生の憍逸はことごとく断たれてしまった。
と悩まれたように、他人事として受け取っていいものではありません。
あらかじめ死を見つめ、覚悟をしておかなければ、蜀山人が詠いましたように、
「今までは人の事だと思うたが俺が死ぬとはこいつたまらん。」となりかねません。
十返舎一九は、
この世をば どりゃ お暇に 線香の 煙とともに 灰 さようなら
などと詠っています。
夏期講座の三日目には兜率三関という公案を取りあげました。
これはまさにその死んでどこへ行くという大問題を扱っています。
三つの問題が出ています。
第一問は、草を払って、奥深い真理を探究しようとする者は、まず自己の本性を見届けなければならない、自己の本性はどこにあるのかというものです。
禅では「直指人心、見性成仏」と説いています。
直に人の心を指し示して、その本性を見て仏になる教えなのであります。
いやもっと端的に言いますならば、その本性が仏であることに目覚めるのであります。
第二問は、自性を知ることができてようやく生死を脱することができる、ではそなたの眼光が落ちる時いかに脱するのかという問いであります。
どう死ぬかであります。
あの夢窓国師なども、数え年十九歳の頃、天台や密教の教えを学んでいましたが、その教えてくれていた講師の方が、お亡くなりなった時、あたふたと取り乱して亡くなったのでした。
それを見て、平生如何に博学を誇っていたとしても、いざ死に臨んでこのような有り様では、それまで学んだ経典などが一文字も役に立たないではないか、それならば、教外別伝と言われる禅を学んでおこうと思われたのでした。
これが夢窓国師が禅の道に入るにいたったきっかけであります。
禅は、真っ向から死に臨んでどうすると問い詰めるのであります。
なにも辞世の句を読んで、泰然自若として死ぬばかりがいいのではありません。
「苦しい時には苦しんで苦しんで死んでいきなさい。無理に苦しむまいと努力する必要などは何も無いのだから苦しんで死んでゆけばいい」と説かれる禅僧もいらっしゃいます。
私などはこちらの方に心惹かれます。
第三問は、生死の世界を脱することができれば、ゆくべき落ち着きどころがわかる。
ではそなたの身体を構成する四要素がバラバラになって死ぬ時、どこへゆくのかということであります。
仏教では、地水火風という四つの構成要素が集まって私たちは成り立っていると考えられていました。
骨や筋肉などの物質は地の要素、血液体液は水の要素、身体の熱は火の要素、呼吸などのはたらきは風の要素と考えられて、その四つが調うと健康であり、四つが乱れると病気になるというのです。
今でもお寺では病気のことを四大不調と言っています。
死んでどこにゆくのか、古来の大問題であります。
私などもこの死について疑問を持っていました。
満二歳の時に祖父が亡くなり、祖父の死が私の記憶のはじまりです。
そして、死んでどこにゆくのか、そもそも死とは何なのかというのが大きな疑問となりました。
その解決を求めて、あれこれと本を読んだり、お寺に話を聞きにいったりしていました。
死について疑問を持ったという方は多いのですが、そのほとんどは成長するうちに、そんな問題は薄れてゆくようであります。
現実の世の中で生きるようになってゆくのでしょう。
私の場合はそのように器用に転換することができなくて、周りの人が皆受験勉強に熱を入れている時も、死について考え坐禅をしていたのでした。
そんな中に、円覚寺の朝比奈宗源老師の本に出会ったのでした。
人との出会いも大きなものですが、本との出会いもまた大きな影響がございます。
朝比奈老師の本を読みますと、朝比奈老師は、六人兄弟の末っ子で、四歳の十月に母を亡くし、七歳の三月の父を亡くされました。
両親のいないさびしい少年期を過ごされたのでした。
死んだ両親はどこにいったのか、この問題を坐禅をして解決したと本に書かれていました。
私も、よしこれだと思って坐禅をしてきたのでした。
では、どこに行くのでしょうか。
朝比奈老師は、
人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引きとるので、その場その場が仏心の真只中であります。
と端的に説いてくださっています。
更に朝比奈老師は、
ご自身の父も母も死後は、釈尊も達磨も、同じく仏心の世界、永遠に静かな、永遠に平和な涅槃の世界にいられるのだと確信されたのでした。
人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る、私も坐禅してきてなるほどその通りだと確信しています。
無門禅師は、もしもこの三つの問題に適切に答えることができれば、あらゆるところで主人公となり、各種の縁に応じつつも根本から外れることはないと説かれています。
どこで何をしていても仏心とは一秒時も離れないのであります。
最後の頌では、一念で無量劫をすべてみるのであり、無量劫はそのまま今なのであるという仏心の世界を説いています。
この只今見ている者、聞いている者、ここに生き通しの仏心がはたらいているのであります。
椎尾弁匡僧正は
時は今 ところあしもとそのことに打ちこむいのち 永遠のみ命
今この一呼吸に、弥陀永遠の命、仏心が生き通しでいるのです。
死とは、その永遠のみ命に帰るだけのことなのであります。
お互いは仏心という大海原に浮かぶひとつの泡の如きものであります。
死はその海に帰って、もとの海と一つになるのです。
そのことを、沢庵禅師は
たらちねに よばれて仮の客に来て 心残さず 帰るふるさと
と詠っているのです。
横田南嶺