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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.05.20
今日の言葉

昼間のふくろうのように

白隠禅師の書物に、「薬病相治の説」というのがあります。

病気の方の為に説かれたものであります。

そのなかで、次のような話がございます。

直木公彦先生の『白隠禅師 健康法と逸話』から意訳を参考にさせていただきます。

「呂洞賓」という中国の仙人の話であります。

神丹を練る方法について書かれています。

神丹というのは、丹薬ともいって、もとは不老不死の薬のことを言いました。

呂洞賓が神丹について、ある仙人に教わったところでは、

「丹というのは、世間に申しつたえているように、黄金の磨屑(すりくず)を朱にまぜて、三年または、七年間もやすまずに、練りつづけたものであるというのは、根も葉もない嘘ごとである。

それ、真の長生不死の神丹は、そとからえられるものではない。

なんじに、もとからそなわった本然の性徳をおさめ、なんじが本源の生気をまもり散らさず、眼はみだりに見ず、耳はみだりに聞かず、口はみだりにいわず、身体はみだりにうごかさず、心はみだりにうごかさず、真一の生気を臍の周囲から下腹のあいだに集めやしなうときは、渾然として元気専一そのものになる。これこそ丹を錬るということである」

というのであります。

そこで、

「それから、呂洞賓は臍のまわりから下腹に丹田ありと観じて、仙人の教えをつつしみまもって、わずかのあいだに仙術を成就した、ということは所々に言いつたえられている話であります。

まことに、右の教えのように、心をつつしみ相まもれば、不老不死長生永遠の一真人が生かしつづけているこの身体の、いかなる病でもなおせないなどということはありません。

いかなる寿命をも、たもたないなどということはございません。この意味をよくわきまえてくださるならば、おっつけ、めでたく全快なされますことは掌をさすよりもたしかであります。」

と白隠禅師はとかれているのであります。

それから、白隠禅師が眼を患う人のために書かれた文章もございます。

こちらも、直木公彦先生の本を参考にさせていただきます。

「養生の書物に「身体をやしなおうとするものは、まず心をやしなう、心をやしなうものは黙し、眼をやしなうものは眼をつぶる」と書いてあります。

「眼をやしなおうとするものは瞑目する」というのは、つねに、無知愚鈍の大馬鹿者とおなじように眼をくい眠り、社会の正邪善悪を見ず、世の中の乱戦勝敗も気にせず、過去現在未来のこともうち忘れ、大馬鹿者になりきって、人に面会することもこのまず、赤ん坊のように人のくるのも知らず、人の去るのも気にせず、木のように、石のようになることであります。

かかる修行を一年も二年も練習してごらんなさい。そうすると眼病はかき消すように全快してしまいます。」

というお示しであります。

更に白隠禅師は、
「ある老医の教えに、「わかい鷹のするどい眼をえようとすれば、昼間のふくろうを師匠とせよ」とあります。

つねに黙々として、心を落ちつかせ、しずかに心気をやしなうのを第一の勤めとしそのかたわら、かの「内観の秘法」の工夫を日常たべる御飯のようにもちいつづけてゆきますならば、一身の元気が臍のまわりから、気海丹田のあいだに充ちみちて、全身の力がさかんになり、眼力もしだいに強くなってゆきます。」

と説かれています。

眼を患うというのは、眼を使いすぎるからなのでしょう。

昼間のふくろうというのは、ふくろうは夜に目を輝かせ、昼間は眠っているのであります。

現代は、情報過多だとよく言われます。

先日川野泰周先生からうかがったところでは、私たちが日々接する情報の量というのは、この二十年でなんと一万倍に増えたのだそうです。

そんなに増えたのかと思いますが、増えたのでしょう。

それだけ、眼も頭脳の疲れてしまうのは無理もありません。

そこで、正しく物を見る眼、智慧の眼を得ようと思うならば、まずは昼間のふくろうのように、しっかり、休めることが大切になってきます。

少しは、情報を遮断して、じっと眼を閉じて、下腹に意識を集中する時間を持ちましょう。

そんなことを言いながら、こういう配信をすること自体が、情報を増やしているのですから考えものです。

下腹に意識を集中する、内観の法については、以前ご紹介したことがあります。

平林寺の松竹寛山老師は、『禅文化』二五九号で、この内観の法を詳しく親切に解説してくださっています。

松竹老師の、内観の文の意訳を参照させていただきます。

わがこの気海丹田、腰脚足心は本来の自分。
本来の自分はどんなだろう。
わがこの気海丹田、腰脚足心は心のふる里。
心のふる里はどんなだろう。
わがこの気海丹田、腰脚足心は心の安らかな世界。
心の安らかな世界はどんなだろう。
わがこの気海丹田、腰脚足心は阿弥陀さまの世界。
阿弥陀さまの世界はどんなだろう。

というのであります。

こういう意識を用いて、下腹に気を集めて充実させるのです。

時には外の物を見ず、情報も断って、しずかに丹田に意識を集中して、下腹を充実させる時間を大切にしたいものです。

私などは、年中昼間のふくろうで役立たずなのですが、お忙しい皆さまには、時には昼間のふくろうにように静かに気を養う時間を持ってほしいと願います。

 
横田南嶺

昼間のふくろうのように

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