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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.03.06
今日の言葉

大いなるものに抱かれて

臨済会という、臨済宗寺院の集まりがございます。

「戦後世相なお混沌としていた昭和24年の秋、東京を中心に臨済宗に所属する有志が集まって、教化の実践面に新しい活動をしようという機運が熟し、会が組織されることになった」

ということから発足した会であります。

この臨済会が、年に四回発行している『法光』という小冊子がございます。

このたび、春彼岸号に私の文章を載せてもらっています。

「自らを調え、安寧を祈る」という題であります。

これは昨年、『法光』の編集者の方が円覚寺に見えて、インタビューしてくださったのでした。

春彼岸号には、巻頭に私の拙い書の色紙が載せられています。

「兀然(ごつねん)として無事に坐すれば、春来たりて草自ずから生ず」

という禅語を書いておきました。

じっと坐っていれば、やがて春が来て草も自然と生えてくるという意味です。

今はコロナ禍で辛抱していても、やがて春が来るのだという気持ちで書きました。

その色紙の下に、編集の方が短い文章を載せてくれています。

これが良い内容なのでご紹介します。

「忙しい毎日を送るなかで、ふと立ち止まった時に色々な変化に気づきます。

特に春になり草木が芽吹く季節は、自然の移ろいを力強く感じるものです。

私たちの身体や心も同じように絶え間なく変化し続けていますが、実感し続けて生活をしている人はあまりいません。

絶え間なく変化し続ける理を「諸行無常」と云い、その中で人生を送る私たちは「生きる、老いる、病む、死ぬ」という思い通りいかないことで悩み苦しむために、変化することを嫌うのです。

しかし、それでは本当の解決には至りません。

諸行無常を受け容れることができれば、目の前のことに一心に取り組むことができ、鮮やかに生ききることができます。

その心を「仏心」といい、「仏心」が必ずや自らにあると信じ、坐禅・作務や日常の生活を通して見出し、迷いから脱し自由闊達に生きる教えこそ臨済禅です。」

四季の移ろいの中で私たちは生かされています。

四季の移ろいに、無常を観じることができます。

無常というと悪い印象ばかりを持ちがちですが、無常には良いも悪いもないのです。
ただ常に止まることなく変化してゆくだけなのです。

特に今のような季節の変わり目には、この無常を至るところで観じるものです。

円覚寺の「羅漢講式」のなかに、

「春の来るときんば、迹として観るべきなしといえども、大地 其の春力に依らざることなし。」

という言葉があります。

春が来ると、どこからともなくやってきて、足跡も残さないのですが、大地は、至るところ春の花が咲いて、春の力が至らないところはないのであります。

その四季の移ろいは、どこから来ているかというと、やはり地球が動き続けていることからきているのでしょう。

それには月の力も大きく関わっているとのことです。

『日本講演新聞』三月一日号に、その四季がどうして生まれるかについて書かれていました。

「地球は地軸を傾けて太陽を一年かけて回ります。

その傾きがあることで、一年間の間に地球が太陽に向かう部分が異なっていくのです。そのため地球には日本のような美しい四季が生まれたのです。」

ということなのです。

なるほど、傾いているから、四季が生まれたのです。

まっすぐもいいのでしょうが、傾くことにも意味があるのです。

更に読んで見ますと

「しかも地球は、コマのようにきれいな軸を保ちながら回っています。

もし軸が安定せずに、どったんばったんしながら回っていたら、ある時は北極のような寒さ、またある時は赤道直下の灼熱の地など、美しい四季どころか大変な気候の変化にさらされていたはずです。」

というのです。

記事には、実際に火星という星は、地軸が安定してないのだと書かれています。

それはどうしてかというと、火星を回っている衛星がとても小さくて、地軸を安定させるほどの力が無いそうなのです。

それに比べると、月というのは、地球を回っている衛星ですが、大きさは地球のおよそ四分の一だそうで、かなり大きいのです。

空に浮かぶ月を見ていると、地球の四分の一もあるとは想像できませんが、それくらい大きいのだそうです。

ですから、海の潮の満ち引きがあるのです。

これはよく知られているように、月の引力によって、地球の海水が引っ張られて起こるのです。

潮の満ち引きは、人間の出生や息を引き取ることにも大きく関わってきます。

ともあれ、月のおかげで、地球は地軸を安定させているのだそうです。

そのおかげで、穏やかな四季の移ろいがあるのです。

地軸の傾きや月のおかげなのです。

この頃、僧堂では「布薩」の儀式を取り入れています。

これは新月と満月の日に、仏弟子たちが集まって戒を読み合わせてお互い自分自身を反省する儀式です。

僧堂の様々な行事によって、新月と満月からずれることもあるのですが、おおむねその前後に行っています。

ですから、布薩を行うときに月の半ばであれば、新月だなと感じますし、月の終わりには満月だと感じています。

その程度のことしか思っていなかったのですが、このお月様のおかげで、四季の移ろいも感じることができるのだと思うと、しみじみと私たちは大いなるもののはたらきの中に生かされているのだと感じます。

諸行無常は、そんな大いなるはたらきです。

その中に抱かれて私たちは生かされているのであります。

そんな事を思い、四季の移ろいに大いなるものに抱かれていることを感じれば、穏やかな心になることができます。

 
横田南嶺

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