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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.02.10
今日の言葉

鬼はどこ

心療内科医の海原純子先生から、立春の日にお手紙を頂戴しました。

年賀状の代わりに、立春にお葉書など下さる方もいらっしゃいます。

海原先生のお手紙に書かれていたのですが、海原先生はなんと私の動画を見てくださっているとのことで、とりわけ呼吸瞑想が良くて、ご自身も実践しておられるとのことでした。

高名な先生にご覧いただいているとは恐縮しました。

そして、秋には、海原先生の関わる学会で、呼吸瞑想を指導して欲しいとのご依頼もいただきました。

有り難いご縁であります。

ささいな事がお役に立つとは、有り難いことです。

そもそもは、私が毎日新聞日曜くらぶに連載されている「新・心のサプリ」を拝読しているのが、海原先生とのご縁のはじまりでした。

この記事を書かれている先生に講演をお願いしたいと思って、円覚寺の夏期講座で講演をしてただいたこともありました。

海原先生のご縁で、肺癌学会で「死」について講演させてもらったこともございます。

また海原先生は、円覚寺の猫もお好きでいらっしゃって、猫の写真を一枚撮っていれてある本を出されたこともありました。

『こんなふうに生きればいいにゃん』という本です。

立春にいただいた手紙にも、「しいちゃんによろしく」と書き添えられていました。

「しいちゃん」というの円覚寺の猫のことであります。

猫に、「海原先生がよろしくと言っていたぞ」と伝えて通じるのかどうか分かりませんが。

よろしく伝えましたと返事を出しておきました。
 
二月七日日曜日に書かれていた「新・心のサプリ」には実に良いことが書かれていました。

いえ、毎週良いことが書かれているのですが、特に私の心に響いたのでした。

この話は是非ともご紹介したいと思いました。

題は、「鬼とはなにか」であります。

海原先生は子どもの頃に、「鬼は外」と大きな声で叫んで、窓から豆をまくと、お父さまから叱られたそうなのです。

お父さまの仰るには、

「窓の外は隣の家の内なのだ」

ということです。

これは深い言葉です。

海原先生が子どもの頃に住んでいたところというのは、狭い民家が屋根を連ねて建っているようなところだったそうなのです。

鬼は外と豆をまけば、隣の家の中に入るのは確実とのことです。

そこで、お父さまは、大きな声をあげずに、窓を開けたあたりに、そっと豆を置いたらいいとのことだったのです。

さすがにまだ幼かった海原先生は、大きな声で豆をまくからすっきりするのであった、つまらないと思われました。

賢明でお優しいお父さまのお姿を思い浮かびます。

こういう親のもとで育ったので、聡明でお優しい人格になられたのかと思います。

たしかに自分の外に鬼を追い払うと、そこが他人にとっても内であることもあります。

大気汚染や汚染水と同じで、自分の敷地から出したけれどもそれが誰かの敷地であったりするのです。

では鬼とはそもそも何なのかと海原先生はお考えになりました。

災害やウイルスが鬼なのだろうか。

今の時期ならば、ウイルスが鬼で、鬼を払う為に豆をまかれた方もいらっしゃると思います。

海原先生は、災害は確かに人の生活を破壊しますが、災害の中で助け合い支え合って心を一つにすることもできると書かれていました。

新型コロナウイルスの感染拡大にしても、イタリアで医療崩壊しながらも、支え合い励まし合う姿に、人間の美しさを感じたと書かれています。

災害やウイルスがそのまま鬼とは限らないのです。

では、鬼とは何か

海原先生は、

「災害の中で生まれる邪念ではないだろうか」と指摘されています。

そして、

「新型コロナウイルス感染拡大では、感染した人への非難や中傷が生まれた。

国同士の非難が生まれ、疑心暗鬼が渦巻いた。これが鬼ではないだろうか」

というのです。

「鬼は外からやってくるものではなく心に生まれる邪念なのだと思う」

という見識には、全く同感です。

「鬼は自分の中から生まれることが多いのだ。

心の中を常に観察し、汚れたら洗う。

手を洗うたびに心も洗う習慣をつけると心に鬼が生まれなくなるのではないか」
と書かれていました。

これはまさしくその通りです。

「このからだ鬼と仏と相住める」

という句がありました。

これが人間なのです。

「いかなるが苦しきものと人問わば、人をへだつる心と答えよ」

と良寛さんは詠っています。

ですから海原先生の言われるように、絶えず自分の心を観察して、鬼が現れたら、それに気がついて、これはいけない、こんなことでは申し訳ないことだと反省することです。

それが清めるということでしょう。

お隣の建長寺様では例年は盛大に豆まきが行われていました。

さすがに今年は、大幅に縮小されたとか。

円覚寺ではお隣の建長寺でなさっていることなので、本山としては豆まきの行事は行っていません。

僧堂の雲水たちが豆をまくらいです。

雲水たちは、何だ鬼だかも考えずに、大きな声を出してまいています。

これもストレスの発散くらいにはなるのだろうと思ってみています。

私はというと、節分の晩には、一人静かに、我が心に鬼は無きやと見つめて坐っています。

そして鬼を鎮めるには、やはり息を見つめる呼吸瞑想が一番かと。

 
横田南嶺

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