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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.02.05
今日の言葉

何も悪くない

須磨寺にお参りして、小池陽人さんと対談した時のことです。

小池さんと、「布薩」について話し合いました。

「布薩」とは、毎月新月と満月の日に、仏弟子たちが集まって、戒の条文を読んで、お互いが戒にもとる行いがなかったかどうか、確認して反省する儀式のことです。

この布薩が、お互いの心にどのような影響を及ぼすのかについて話をしました。

その時に、私が思い出したのは、高野山真言宗の天野高雄和上の話でありました。

そもそものはじまりは、やはり小池さんとのご縁なのです。

円覚寺で小池さんと対談することになって、小池さんの著書は一冊だけだったので、まずその本を読み、それからたくさんの動画を配信しておられるので、それらをすべて拝見しました。

それがご縁となって、小池さんが、天野高雄和上と対談された動画も拝見しました。

そこから、天野和上の法話が高野山の法話公式チャンネルにあるので、更にそちらも拝見していました。

高野山の法話チャンネルは、すばらしい内容のものばかりです。

私などの動画とは比べようもない高い品質のものです。

天野和上も、高野山布教師の中でもベテランの方なので、その法話が実にすばらしいのです。

その法話の中で、「心に種を植えた教え」という題で話をされているのです。

これが実にいいお話なのです。

どんな内容なのか、改めてご紹介します。

天野和上が、ある日の夕方、本堂のお掃除をしていて、もう終わろうかという頃、門前で「ガチャーン」という大きな音がしました。

何事かと思っていると、山門から若者が本堂に駆け込んできました。

中学生の男の子だったそうです。

その子がワーっと大きな声で泣くのです。

どうした、どうしたと聞いても声をあげて泣くばかり、天野和上はその少年の背中をさすりながら、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言ってもおさまらず、般若心経をおとなえしました。

すると、その少年も一緒に唱和したのだそうです。

ようやく落ち着いて、お茶をあげて話を聞くと、「物を盗みそうになった」というのです。

悪い仲間と一緒になってしまい、「根性試し」と称して、お店で万引をしようとしてしまったのです。

文具店に入って、消しゴムを一つ盗ろうとしました。

その消しゴムを懐に入れようとした瞬間に、おばあちゃんの声で、

「不偸盗、不偸盗、とっちゃいけん、とっちゃいけん」という言葉がくり返し聞こえてきたのです。

おばあちゃんはもう亡くなっています。

その声が聞こえてきて、消しゴムを棚に戻したというのです。

それでも、誰かに見られたかな、心に影ができたと思ったのか、自転車を一目散にこいでお寺に飛び込んできたというのです。

その子のおばあちゃんという方は、おじいさんが先に亡くなり、毎日幼いその子を膝の上に抱いて、お仏壇にお参りして勤行をされていたそうなのです。

そして、「不殺生、不偸盗……」と戒を唱えていたのです。

まだ三つか四つの頃の少年は、何でも興味があって、おばあちゃんが唱えている言葉の意味を一つ一つ聞いたのです。

おばあちゃんは丁寧に一つ一つ答えました。

「不殺生」、

「不殺生ってどういう意味」、

「不殺生とは生き物の命をとっちゃいけんということや、命を取ってしまうとみんなが悲しむんじゃ、一番悲しむのは取られた人じゃ、取られたものじゃ」、という具合です。

「不偸盗、不偸盗」とおばあさんが唱えます。

「不偸盗って何?」と聞くと、

「物は盗ったらいけんのじゃ」、

「なんで盗ったらいけんの」

「物を盗ったらまず店の人が困るんじゃ、おじいちゃんもおばあちゃんも悲しいんじゃ、お父さんもお母さんも辛いんじゃ、

そしてなによりあんたが一番辛いんよ」

と話をしてくれたのでした。

おばあちゃんがいつもお仏壇で唱えていた「不偸盗、不偸盗、とっちゃいけん、とっちゃいけん」という言葉が、少年の心の中に残っていたというのです。

それが歯止めになったのです。

戒の条文を唱えているということは、

「四正断(ししょうだん)」の中の、「未生悪令不生(未だ生ぜざる悪を生ぜざらしむ」ということになります。

まだ行っていない悪い行為を行わせないようにする働きがあるのです。

布薩で、戒の条文を読むことには、こんな良い影響が、皆の心にきっとあるはずだと、対談で話をしたのでした。

その対談を、何と、高野山真言宗の天野和上がお聞きになってくださっていたようです。

昨日、大きな小包が届きました。

差出人は、天野高雄和上です。

お手紙には、私が小池さんとの対談で、天野和上のこの法話のことに触れたら、

「おかげさまで、反響はすさまじく、私自身もあのような形で先生に語ってもらえました事はたいへん光栄、はげみとなる喜びでございました。

高野山布教師として、これからもこの倖せを胸に精進して参ります」

と書かれていました。

そして、天野和上のたくさんのご著書が入っていました。

また天野和上は実に多彩なお方で、絵もお上手で、切り絵もすばらしく、小さなお仏像などもお作りになるそうで、ご自身作のなんとも「土ほとけ」という愛らしい仏像も下さいました。

実は私、数年前に高野山真言宗の布教師の方々の研修会に講師として招かれて講演をしたことがあります。

何も分からずに講演したのですが、今高野山真言宗の布教師の方々のレベルの高さを知って、もう恥ずかしい限りです。

穴があったら入りたいと思えども手遅れです。

天野和上は私よりも四歳ほどお若いのですが、本の内容もすばらしく、絵も書もすばらしく、とても私など及ぶべくもないと思いました。

そんな和上からお手紙やご著書、お仏像までいただいて感激しています。

ご著書を紐解いていて、短い言葉ですが、心打たれたものがあります。

何も悪くない

自分が変わればいいだけ

というのです。

深い言葉です。

先の少年も何も悪くないのです。これを機に「とっちゃいけん」とご自分が変わればそれでいいのです。

頂戴した『ほほえみ文庫③ ひたすらに』にあった言葉です。

いただいた絵葉書には、

「ありがたきご縁に私は包まれて」

と書かれていますが、その通りであります。

無断に法話の内容を紹介してしまいましたが、ご海容を願います。

ご縁に感謝であります。

たくさんの本や絵に仏像までいただいて、こちらからお返しする物が無くて困っています。

せめて心を込めてお礼状を書こうと思います。

 
横田南嶺

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