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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.07.28
今日の言葉

純真無垢な少年の心

華厳経の入法界品には、善財童子が五十三人の善知識を尋ねて真実を求めてゆく旅の物語がえがかれています。

この五十三人というのが、東海道五十三次のもとにもなっていると言われています。

その五十三人というのが、実にさまざまな方々なのであります。

およそを述べてみますと、

菩薩さまが四人、男性の出家者が五人、

女性の出家者が一人、

在俗の女性の信者が四人、

バラモンが二人、

出家の外道(仏教外の修行者)が一人、

仙人が一人、神々が十一人、

国王が二人、長者が十人、

医者が一人、船大工が一人、

夫人が二人、女人が一人、

少年が四人、少女が三人、

こういう人々に、善財少年が道を求めて教えを乞うて旅をしているのです。

菩薩さまや出家の方というのは理解できますが、その中には、仏教者でない人がたくさん混じっていることに気がつきます。

国王であるとか、医者とか船大工とか、そういう在家の方もいらっしゃるのです。

更には、少年や少女も入っています。

更に驚くことには、外道といわれる、仏教以外の教えを学んでいる人もいるのです。

仏教でいう善知識とは「先生」というほどの意味ですが、必ずしも仏教のみに関係するのではなくて、仏教ではない人も入っているのです。

教えを受ける方というのは、男性女性の区別もなく、出家在家の区別もなく、職業の貴賤の区別もないのです。

どんな人であろうと、善財少年は頭を垂れて、ただひたすら教えを受けているのです。

この点について玉城康四郎先生は『スタディーズ 華厳』のなかで、

「こういう大胆で純真無垢な、世間のさまざまな思惑を越えて真実を求めていくという態度は、われわれ大人には不可能ではないか、

少年であればこそ、こういう態度ができるのではないか」

と指摘されます。

そう言われますと、少年をはるかに越えてしまった私たちにはもはや縁の無いことと思われますが、

玉城先生は

「したがってわれわれ大人も老人も純真な少年の心に還ってこそ初めて真に道を求めていくことが可能になるのではないか」

ということを指摘されて、華厳経入法界品が私たちにこのことを教えてくれていると説いてくださっています。

謙虚に学ぶ姿勢というのは、純真無垢の少年の心に還ることなのであります。

誰しも、忘れているかもしれませんが、もともと備わっていたものであります。
 

横田南嶺

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