空白の意味
毎日新聞の日曜くらぶに海原純子先生が「新・こころのサプリ」と題してコラム記事を連載されています。
毎回楽しみに拝読しています。
二十六日日曜日には、「必要な時期の学び」という題で書かれていました。
はじめに、「質の高い研究をして論文をたくさん書いている科学者がいて、若いころ一日十時間は勉強していたという話を聞いた」ということを紹介して、
海原先生は、「一日のなかでそれだの時間を「勉強する」…ということに使えるというのは幸せなことだなあ、とも感じるのだ」
と書かれています。
それに対して、最近の豪雨被害で、制服が流されてしまい、避難した時の服を着たまま登校した中学生のことについて触れられています。
毎日泥を家から撤去する作業が大変ということで、
海原先生は、「中学三年生の夏にそうして時間を過ごすのはつらいだろうと心が痛んだ」と思いを寄せられています。
あるいは、新型コロナ感染拡大の影響で、親の収入がなくなったり減少したりした子供たちのことにも触れられています。
食事すらままならなくなった子供もいらっしゃるそうです。
そこで海原先生は、
「勉強したくとも、経済的に、あるいは災害などの環境の影響で、できなくなった子供たち」の
「思考力も身体の能力もどんどん成長しているその時期に必要な学びができていない、ということの後遺症のようなものが気になってならない」と指摘されているのです。
今は、経済的な支援について議論されていますが、たしかに心に受ける影響について論議されることはあまり無いように見受けられます。
そこで、海原先生は、「困難な生活を生きている子どもたちや若者たちが必要な学びの場を得られるようにしてほしい」と訴えられています。
「オンライン、スマートフォンでもアクセスできるような学びの場などを提供し、未来の若者の心を守って欲しい」と書かれていました。
たしかに、いま一所懸命に勉強しなければならないという時に、思わぬ状況になって学ぶ事ができないというのは、たいへんなことであります。
何とか、その穴埋めをしなければという焦りもあることでしょう。
しかし、長い人生から見てみると、そんな時期もきっと意味のあるものだったと思える時が来るように、私は思います。
充実した時から比べると空白の時のように感じるかもしれませんが、空白が単なる空白ではなくて、意味のあるものだったと思う時が来る、来て欲しいと願います。
横田南嶺