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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.07.03
今日の言葉

仏を供養するということ

『華厳経入法界品』には、善財童子がさまざまな善知識を求めて旅をする物語が説かれています。

その途中で、解脱長者という富豪を訪ねて教えを乞うところがあります。

善財童子は、この上ない悟りを求めるのは、諸仏を供養するためであると書かれています。

そして、その仏を供養するということは、どういうことかというと、

「わたくしは一切諸仏の心を知り、一切諸仏の大願にしたがって智慧の光明を求め、自身の内から一切の仏を出さんと欲する」

ことだと説かれています。

仏の心を知り、仏の大いなる願いに随って智慧の光明を求めることだというのです。

仏の大いなる願いというのは、生きとし生けるものを皆救おうという願いにほかなりません。

私たちは、仏様を供養するというと、単にお花を供え、お香を献じて、読経することを思い浮かべますが、それでは十分ではないのです。

仏の心、即ち仏心に目覚め、仏の願い、即ち生きとし生けるものを救わんがために、智慧の光明を求めることが大切なのです。

祖師の供養をするにしても同じことでありましょう。

単にお供えをして、お経をあげるだけではなく、その祖師の心を知り、祖師の願いに従って智慧の光明を求めることでなければなりません。

お寺ですと、伝統の儀式や形式が定まっていますので、それは意味のあることなのですが、単に儀式だけを済ませば、供養が終わっているように勘違いをしてしまいがちであります。

心しておかねばなりません。

 

横田南嶺

仏を供養するということ

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