村の鍛冶屋
飛び散る火の花 はしる湯玉
ふいごの風さへ息をもつがず
仕事に精出す村の鍛冶屋
文部省唱歌の「村の鍛冶屋」の歌詞です。
作者は不詳らしいのですが、一所懸命にはたらく鍛冶屋さんの姿がよく歌われています。
私なども小学校で習った歌でした。
そして、私の生まれ育った家も、鍛冶屋でありました。
まだ、幼い頃には、ふいごなども残っていて鍛冶屋の面影がありました。
父は、高度経済成長を機に、鍛冶屋から建築用の鉄骨の加工に切り替えて、鉄工所に変えてゆきました。
村の鍛冶屋の姿は、農林業が機械化するにつれて需要が少なくなり、だんだんと見かけないようになってゆきました。
子供たちに唱歌を教えても、鍛冶屋の姿が想像しにくくなって、昭和五二年に学習指導要領から削除されました。
昭和六〇年には、すべての教科書から、この歌は消えたそうです。
法話の時に、「村の鍛冶屋」の歌をご存じですかと言うと、頷かれるのは、もうかなりのご年配の方なのであります。
写真の記事を書かれた方も、それなりの年代の方なのでしょう。
わがふるさとから、毎日新聞の和歌山版が送られてきました。
横田工作所は、私の生家であります。
創業が明治四十三年と書かれていますので、百十年の歴史であります。
今、後を継いでいるのが、弟であります。
弟はラグビーの推薦で、関東学院大学に入っていました。
長男も、次男である私も、ふるさとを離れてしまい、四男の弟が家業を継いでくれています。三男は地元の信用金庫で勤めています。
ふるさとで、父の仕事を継いで頑張ってくれている弟には、感謝の気持ちでいっぱいであります。
記事の中に、従業員のねぎらいには心をつかい、従業員の家族の誕生日には、牛肉一キロをプレゼントしているという話などは、偉いなと思いました。
「村の鍛冶屋」の心は、今の時代にも伝わっているのだと、嬉しくなりました。
横田南嶺