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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.06.04
今日の言葉

冥加に余る

昨日の小欄で、米沢英雄先生の言葉を紹介しました。

「息がでているだけで満足というところに立っておりますと、後からくるものはおつりばかり、過分なものばかりでして、過分なものに対して頭を下げることが出来ると思いますね」

という言葉でした。

そのあとに、更に米沢先生は、

「あまり自分を高く買いかぶっておりますと、不足ばかり起こって満足ということがないと思いますわ。

息がでるだけで、もう有難いということになりますと、後から来るものはもう恵まれたものばかり、分不相応のものばかりであって、これを昔の人は冥加に余ると申しました。

冥加に余るというこの言葉、この節の若い方々はご存じない言葉でありますが、これはどうでも知っていていただきたい言葉でございます」

と続けて仰っています。

さて、この「冥加(みょうが)に余る」という言葉、たしかに今はあまり使われないように思われます。

「冥加」を『広辞苑』で調べますと

冥加とは

①知らず知らずのうちに神仏の加護をこうむること。
目に見えぬ神仏の助力。冥助。冥利。

②お礼。報恩。

という意味が書かれています。

それから「冥加に余る」というのも『広辞苑』にありました。

「過分な加護を得て有難い。身に過ぎたもてなしを受ける」

という解説でした。

「冥加」は「冥助」とも言います。

冥助を『広辞苑』で調べると、

「目に見えない神仏の助力。冥加」

と解説されていました。

知らず知らずのうちに、私たちは神仏の加護をいただいています。

その何よりの証拠が、こうして息をしているということでしょう。

ご飯をいただくということでしょう。

目が見えているということでしょう。

とりわけ、このたびの新型コロナウイルス感染症の影響で、私などは、あれほどびっしりと書き込まれていた予定が、完全に消えてなくなりました。

私など、あれこれ活動していたつもりでいましたが、それらは不要不急のことであったのです。

「不要不急の外出は自粛しましょう」の一言で消えたのです。

そこでどくだみ(十薬)を摘んではお茶にしていただいています。

これだけでも「冥加に余る」ものです。

それに比べて、医療従事者の方々のご苦労はたいへんなものです。有り難い、申し訳ないという思いで一杯です。

宅配の方々もたいへんです。

学校の先生も、休みになってのんびりどころが、オンライン授業でたいへんなご苦労のご様子です。

そんな方々の事を思いますと、私など不要不急の人間が、毎日ご飯をいただけるだけでも、実に「冥加に余る」のであります。

せめて、謙虚に生きなければならないと思います。

 
横田南嶺

冥加に余る

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