対立のない世界へ
制末大攝心 2日目
横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
私たちのいのちというのは、何ら対立のない生き通しのいのちというのが
本当なのであります。達磨大師の師匠である般若多羅尊者の言葉があります。
「自分はこうして呼吸をしている。この呼吸こそ百千万巻の経典と同じである」
人のいのちというものは、いつ生まれていつ亡くなるかと限定して短いものと
してみてしまいがちですが、いのちのおおもとをたどれば、ずっと遠い過去から
無限の未来まで永遠の生き通しであると気がつくはずです。
それをいっぺんに気がつくのが難しいから、せめて、先祖、親からいただいた
いのちである、そして、次の世代へ受け継がれていくものだという風に説いていく
訳です。自我という枠を少し広げて、さらに無限のいのちに気がつくのが本当の
教えでなければなりません。
形なき自己に目覚める。もう、死ぬことはないいのちに目覚めていく。そうすれば
生死、有無、善悪という一切の対立はその世界では消えるはずです。姿、形のない
生き通しのいのち、無限大の自己に目覚めていくことです。
生き通しのいのちへの手がかりがつかめなければ、広い青空をみれば良い。
教えの違いとか国土の違いとか様々な対立を越えて、吹き渡る風をみれば良い。
あらゆる対立のない世界に目覚めていくことがこれから私たちが生きる上で
大事なことではないでしょうか。
今は、対立の世界です。怨みに対する怨みの報復の世界となっています。
そんなことを繰り返していたのでは、お互いを自ら苦しめる結果にしか
なりません。
良寛さんの詩があります。
「いかなるか 苦しきものと 問うならば 人を隔てる心と 答えよ」
何が苦しみか?苦しみを作り出すものが何か?
それは善悪、是非、生死、老若・・・と様々に分け隔てる心こそ、人を
苦しめる原因であります。こういうものの見方をしていかなくては
なりません。