やっぱり、きれいな空とすきとほった風ばかりです。
ー円覚寺山内・黄梅院 観音堂裏からの夕景ー
今日から、円覚寺専門修行道場(僧堂)では、制末大攝心(1週間の集中坐禅修行期間)に
入りました。
横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
『維摩経』というお経の中でお釈迦様のこういう言葉があります。
「心の劣っているもの、心のけがれたものには罪とけがれに充ちた世界にしか
見ることができない。もし、心を浄めて世界を見直したなら、光輝く世界を
見ることができる」
私たちが禅の修行をするのも、この世界は光、光明にあふれているものである
と気がつくことに他なりません。
詩人 宮沢賢治に『眼にて云ふ』という詩があります。
宮沢賢治が晩年、肺のたいへんな病気にかかり喀血して、血まみれなるような
惨憺たる病状の中で作った詩です。
「だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
・・・
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです」
自分を見舞いに来てくれた人から見れば、30いくつの若さで血を吐き
息絶え絶えになっている姿は惨憺たる景色しか見えないかもしれないが
しかし、私から見える景色は澄んだ青空と透き通った風ばかりであると
詠っています。こういうのを仏の眼(まなこ)というのでしょう。
こういう仏の眼を開くことができれば、本当の安心(あんじん)の心境と
なれるのです。