なんだ、夢であった!
制末大攝心 3日目
横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
お釈迦様にこんなたとえ話があります。広い荒野に旅人が旅をしていたら、
狂った象が追いかけて来た。殺されると思って逃げ回っていると古い井戸が
あり、底に向かって藤の蔓が垂れている。これ幸いと藤をつたわって井戸の中へ
入って、やれやれ、これで象が襲ってくることがなくなった思っていると
井戸の底をみてみれば大蛇が口を広げて待ちかまえているではないか。
途中の横の壁にも毒蛇がいて今にも襲いかかろうとしている。
もう、にっちもさっちもいかない状況だ。そんな時に、上からカリカリと
音が聞こえてくる。上を見上げてみるとネズミが藤の蔓を噛んでいるではないか。
もう、どうしようならないときに藤の花から一滴の水が口の中に落ちてきて
自分の置かれた状況を忘れてしまう。
このたとえ話は、お互い人間が無常を忘れてしまって一時の快楽に身を
任せている様子を描いています。
では、このような絶対絶命の状況から旅人はどうしたら救われるでしょうか?
いろいろな答えがあるでしょう。いっそのこと、井戸のどん底へ落ちてしまえとか
苦しみに成り切ってしまうことが救いだとか。
お経にその答えが書いてある訳ではありませんが、私ならこう答えるでしょう。
体を左右に揺すってうとうととしている様子から、はっと目を覚ませて
「なんだ、夢であった!」これで良いのではないかと思います。
夢から覚めるのが救いです。夢であったと気がついたら良いのです。
私たちの人生というのは、仏様の懐(ふところ)に懐かれていろいろな夢を
見ているようなものです。怖い夢も見ればどうしようもない夢も見る。
しかし、はっと夢から覚めてみればどこにも行っていない、仏様の懐の中に
懐かれていたんだと気づくはずです。