icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.05.09 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • 弁天茶屋
    (休業中)
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2014.11.22

無量のいのち 無量の光

blog-DSC00719
-居士林 山門-

 紅葉は一気に色づいて、今週から来週にかけてがピークとなるのではないかと思います。

blog-DSC00715
-居士林から仏殿を望む-

月並大攝心 3日目

 横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

 私たちは、妄念妄想の中に固められてしまっています。自我、自分中心の

狭い見方の中に閉じこめられている。これを突き破って大いなる世界に目覚める

ことができます。その大いなる世界が計り知ることのできない、阿弥陀、無量のいのち

無量の光です。

 私たちは本来その光明の中に生きているにもかかわらず、目にみえる様々な姿・形のとらわれ

その姿・形を比べて競争し、そしり、憎しみ、ねたみ合って、自我意識を闘わせて争い、差別

いじめを繰り返している。

 本当の救いというのはこの阿弥陀、無量のいのち、無量の光に目覚めることに他ならない。

無量のいのち、生き通しのいのちはいろいろな宗教の教えをみても到りうるところです。

それに目覚めないから、いかり、惜しみ、ねたみなど自分中心の自我の命しか見えていない

のです。仏教で言う、空(くう)や無というのは、このこの小さな自我の命は夢や幻や水に映る

月のように実体がないということです。こんな自我の命を本当のものだとしがみついて争って

いても真の平和、安らぎはいつまで経っても得られることはない。

 そんな小さな我に対する執着、とらわれが全部、抜け落ちたところが無量のいのち、

生き通しのいのち、限りない光に満ちあふれた世界です。その永遠のいのちに全身を

捧げて生きることを「南無阿弥陀仏」という言葉で表しているのです。

 詩人の坂村真民先生は、一遍上人の志を受け継いでこの無量のいのち、無量の光の世界を

表す詩を作ろうされました。私たちの禅においては、坐禅をして本来の面目を工夫をすることは

この限りないいのちと無量の光に目覚めることに他なりません。そして目覚めることが真の救いと

なるのであります。

無量のいのち 無量の光

前の記事
次の記事

カテゴリー

臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • 弁天茶屋(休業中)
  • Q&A
  • お問い合わせ