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臨済宗大本山 円覚寺

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2013.07.09

一つの真理を見いだす

7月9日(火) 制末大攝心・5日目
 管長が提唱されたことをまとめてみました。
 洞山禅師に「糞掃堆頭(ふんそうたいとう)に一顆の明珠を拾い得たるが如し」
という言葉があります。ゴミやかすやはきだめの中から一つの真理を見つける
ということです。
 私たちの修行(人生)も良いこと悪いこと、くだらないと思われることなど
様々なことを経験しながら、その中にひとかけらの明珠・宝・喜びを見いだす。
それによってすべては報われる。それが修行(人生)というものではないでしょうか。
 何かをちょっとやっただけで、こんなくだらないことはやってられるかと逃げ出す
のが正しいのか、それとも、一つの真理を見いだすまで何年、何十年とやってみるのが
正しいのか。
 こんなことはくだらんと言ってやめてしまう人は、結局、どこへ行ってもくだらんと
文句を言うものです。大切なのは、そのくだらんと思う中に一つの真理を見つけること
です。そこでやめてしまったらいつまでたっても何にもなりません。
 雑務と思われるようなことでもそういうものを繰り返し繰り返しやっているうちに
ひとかけらの光るものを必ず見いだすことができるはずです。
 曹洞宗のある禅師は「糞掃堆頭に一顆の明珠を拾い得たるが如し」を
「ゴミだめの中から一つの真理を見つけた」というよりも
「ゴミだめと思っていたものが全部真珠であったと気づいた」と
意訳されたそうです。
 今までゴミやはきだめのようにくだらないと思ってやったいたことが
実は全部真珠のように尊いことであったとこう気づくことが肝心です。
 毎日やっていることをゴミやかす(くだらないこと)と思うのかそれを
真珠の山と思うのかは、全部、あなた自身の心の問題です。
 その心を改めて、ゴミだめが全部そのまま真珠の山であったと気づく
修行です。
blog-DSC02030.jpg
<力強く生きる姿の端的です!>
 

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