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臨済宗大本山 円覚寺

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2013.01.24

無心の人がいるだけで

1月24日(木) 制末大攝心・5日目
 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 本来、禅や仏教なんていうものは、何も特別な道理があるわけ
ではないのであります。「お日様が出てきたら起きて働き、お日様が
沈んだなら、ゆっくりと休む。井戸を掘って水を飲み、田んぼを耕して
そこからいただくものを食べる。」であります。
 その自然のままで、満ち足りた暮らしこそ、強いて言えば、
法そのもの、真理そのものであります。

 皆さんは、この僧堂に来て、不自由だ、かなわんと思っているかも
しれませんが、この僧堂の生活というのは、何と言うことはない、
ほんの一昔前の農家の人の暮らしのまねをしているようなものです。
自然のままの暮らしであります。
 やはり、人は自然から離れてしまったところで、何か行き詰まって
しまうような気がします。昔の農家のような暮らしをして、
自然のままの暮らしをしていれば、何も特別な教えなどそれほど
必要としないように思われます。
 「何も思わぬは、仏の稽古なり。」と至道禅師は言いました。
「ただ、つまらない考えを捨てよ。それ以外に何も悟りは
ありはしない。」と言った古人もいます。
 考えるということはある程度は必要でありますが、考えすぎると
かえって、さらに迷ってしまう。私達のつとめは、衆生済度、人々を
導いていくことで、それはまごうことのない事実であり肝に命じる
ものであります。
 しかし、そうかといって、「どうして人を救っていこうか?」と
力みかえって、「ああしようか、こうしようか」と考え込んで
しまっては、かえってはた迷惑になったり、自分の足下を
見失いかねません。
そこで、やはり、禅の本領は無心であります。
 それこそ、ネコがゴロンと日向ぼっこしているのを見ると
何かしら、ホッとした気持ちになるます。そのように
無心の人がそこにいるだけで、自ずとその場が穏やかになる
というのが禅の本領ではないでしょうか。
 

無心の人がいるだけで

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