悟りをひらいたなら
1月25日(金) 制末大攝心・6日目
管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
朝比奈宗源老師は、「悟りをひらいたなら、複雑怪奇な現実社会に
出て、自由自在に働いて、人の為に悩み抜き、苦しみ抜いてあげなければ
ならない。」と仰せになっています。それこそ、まさに衆生無辺
誓願度の願いであります。
白隠禅師は、最初、自分の心の苦しみからのがれる為に修行を
はじめましたが、後に「菩提心とは悟りを求める心であるが、それは
単に自分だけ悟りをひらいて満足するのではなく、人の為に尽くす
ことこそ菩提心である」と気づかれました。
仏道を修行しようと思ったら、人々の為に尽くしていこうという
願いをもたなければなりません。それには、まず、自分の修行をして
仏心をはっきりさせる。
そして、それにとどまらず、いろいろな人々の様々な苦しみを
肌で感じ、そういう人達に「この仏心をどう教えていったら
いいのか?」を絶えず学ばなくてはなりません。
そうやってやっておれば、自ずと自分自身の煩悩が無くなって
くる。自然と自分の欲望や楽しみに振り回されることも少なくなる
はずです。
坐禅をして、自分は仏心の真っ只中であるとしっかりと実感
したうえで、あとは、現実社会の中に入って、悩み苦しむ人々と
いっしょに悩み抜く、苦しみ抜いていこうという願いを持って
働いていく。これが私達の修行でなければなりません。