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臨済宗大本山 円覚寺

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2012.05.14

ありのままに見る智慧

5月14日(月)
 管長様が昨日の午後、企業向け坐禅会で提唱されたことを
まとめてみました。
 坐禅をすると無念・無想になると言われたりしていますが
しかしながら、何も考えなくなる、何も思わなくなるということは
人間として生きている限りありえないのであります。
 坐禅の目的は無念・無想であるというより、むしろ、この
心というものをいわば鏡のようにして外の状況・周りの状況が
きれいに、くっきりと映ってくる、見えてくることであります。
 坐禅の一つのねらいは智慧というものを養うことであります。
普段は私達は自分に関心あるものしか見えていなく、自分に
興味のあるものしか聞こえていない。また、心に悩みがあるときは
外の世界がどうであるか全く入ってこないという経験もよくあると
思います。
 坐禅のねらいである智慧とはなんでありましょうか?それは
ありのままにものごとを見る、ありのままに状況を見て取ること
ができることであります。しかし、これほど難しいものもない
のであります。結局、人は、自分と関わりがあることをどうしても
ひいき目に見てしまう、自分の都合の良いように解釈して
しまうのです。
 智慧というのは、原因と結果がありのままにわかることです。
今、どうしてこういう結果になったのか?今、こういうことをしたら
どういう結果となるだろうか?あらゆることは原因があり結果がある
それ以外ありえないのであります。
 原因と結果ははっきりとしていてくらますことはできません。
ですから、結果といものは受け止めるしかないのであります。
今、あらわれている結果を素直に冷静にありのままに見て取る
のであります。
 私達が変えることがことできるのは、今新しい原因を生み出して
いくこと、将来に向かって結果を変えていくことだけであります。
こういうことを冷静に判断する智慧を身につける、その為に
自分の都合を抜きにして静かにものを見る、坐禅はいわば
一つのその訓練であります。
blog-P5130617.jpg
<居士林・堂内>
blog-P5140625.jpg
<居士林・山門から>
 

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