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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.10.20
僧堂提唱

禅門における観音様

観音様とは、観世音菩薩のこと。観自在菩薩というのも同じです。訳による違いです。

一切が空であることを智慧をもって明らかにして、何者にもとらわれず、執着することなく、

無心にはたらくものでありますから、

禅門においては、修行して達することのできる究極であります。


六祖のお弟子の司空山本浄禅師という方の言葉にも、

「若し処に応じて本無心なることを会せば、始めて観自在と名づくることを得ん。」とございます。

どんな処にあっても、その場に応じて無心であることができれば、観自在と名づけるというのであります。

もちろんのこと、観音様は、「大慈大悲の観世音」であって、大慈悲のはたらきをあらわしています。

無心のはたらきが、慈悲のはたらきになっているのであります。

禅門の場合は、その大慈大悲の観音様の救いにあずかろうというよりも、

観音様の大慈悲のはたらきを身につけることを目指しているのであります。

到達すべき理想なのです。

そこで達磨大師が、梁の国に見えた時にも、

「あの方は、観音様であって、仏心を伝えておられる」と表現されています。

大慈悲のはたらきが、強調されて千の手になって、多くの苦しむ人に手を差し伸べることをあらわし、

千の眼になって、多くの人達を見守ってあげようとしているのです。

とても人さまに手を差し伸べることなど、出来るわけではありませんが、

千手観音様を拝むたび毎に、ああいうお姿こそが我々の目指す理想像なのだと言い聞かせています。

(雪安居入制摂心提唱より)

横田南嶺

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