2018年7月25日

9月1 0日 夜の初心者向け坐禅会@居士林 参加者募集中


居士林(円覚寺の在家修行道場)山門
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居士林堂内

 最近、世間では、仏教瞑想に対する注目の高まりか、居士林で毎週土曜日に開催

されている土曜坐禅会・初心者の部(13:20~14:20)には、大勢の

方々が参加をしている現状があります。

 そこで、居士林では、夜間の初心者向けの坐禅会を設けました。

 この坐禅体験会は、2時間というゆったりとしたプログラムで、身体をほぐす体操、

呼吸への意識の向け方、足を組んで坐禅をし、最後に参加者の方に自己紹介と質問と

いった内容の懇談会となっています。

(また、椅子での参加も可能です。)

日時: 9月10日(月) 19:00~21:00

    月に一度以上の割合で開催する予定です。

    今後のスケジュールについては、当「居士林だより」にてお知らせします。

場所: 居士林 

定員: 20名

申込み:engakuji.kojirin@gmail.com  宛てに 件名「◯月◯日の夜の初心者向け坐禅会希望」にて

    ①氏名 ②住所 ③電話番号 ④年齢 ⑤職業 ⑥坐禅歴 ⑦参加動機 を記入して

    お送りください。

参加費: 大人 1000円 学生・子供 500円

  * 皆様のご参加を心よりお待ちしております。

2018年7月20日

7月21、22日どなたでも参加できる円覚寺の坐禅会

さて、今週末(7月21年、22日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。

7月21日(土)は、

●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 @居士林

 初心者を対象とした坐禅会です。初めに、呼吸や体に意識を向けるなど

準備体操にあたる瞑想をして、心を落ち着けます。それから、体の動きを止めて

静かに15分間くらいの坐禅をします。最後に5分で質疑応答という流れとなっています。

●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 場所:居士林

20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。

(経験者の部では、足の組み方などの説明は、ございません。初めて坐禅をされる方は

なるべく、初心者の部に参加して初歩的なことを体験してくださいますように。)

<土曜坐禅会が行われる居士林堂内>

7月22日(日)は、 

●9:00~11:00 日曜説教坐禅会(円覚寺派布教師和尚による法話と坐禅) @大方丈

 老若男女が集うお説教と坐禅会です。初めての方も多く参加されています。

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ー日曜説教坐禅会が行われる大方丈ー

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。

2018年7月13日

7月14、15日どなたでも参加できる円覚寺の坐禅会

さて、今週末(7月14、15日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。

7月14日(土)は、

●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 @居士林

 初心者を対象とした坐禅会です。初めに、呼吸や体に意識を向けるなど

準備体操にあたる瞑想をして、心を落ち着けます。それから、体の動きを止めて

静かに15分間くらいの坐禅をします。最後に5分で質疑応答という流れとなっています。

●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 @居士林

20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。

(経験者の部では、足の組み方などの説明は、ございません。初めて坐禅をされる方は

なるべく、初心者の部に参加して初歩的なことを体験してくださいますように。)

<土曜坐禅会が行われる居士林堂内>

 7月15日(日)

●8:05~9:50 日曜坐禅会 @大方丈 

8:05~8:20 坐禅

8:30~9:30 横田南嶺老師による「盤珪禅師語録」という禅の語録の提唱

9:30~9:50 坐禅

という内容です。初心者の方には、8:10~20の間で、足の組み方などを説明しますので、

 必ず、時間までにお越しください。

2018年7月13日

秋季宿泊坐禅会の参加者募集

 9月14日(金)~16日(日)に円覚寺の在家修行道場・居士林にて開催される

GW宿泊坐禅会の参加応募を今日から開始致します。

 普段は、職場、学校、家庭などいろいろと忙しく、ストレスなど「苦」を

感じることも多いと思います。

2泊3日の期間、そんな日常から少し離れて、静かなお寺で生活することによって、

ゆっくりと自分を見つめ直す機会と自然豊かな環境の中で、本来の持っている生命力を

実感できる機会を提供できれば幸いです。

参加希望の方は以下をダウンロードして申込みください。

平成30年秋季宿泊坐禅会参加申込書

 一般の方から学生まで、どなたでも参加することができます。

坐禅が初心者の方にも、安心してご参加できるプログラムとなっています。

 前回に引き続き、今回の宿泊坐禅会も、集合時間を午後5時から2時に早め、

最終日の解散時間も正午から午後4時に伸ばしましたので、前回までと同じ

2泊3日とはいえ、滞在時間が長くなり、ゆったりと過ごすことができるように

なりました。

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居士林での坐禅
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仏殿周りでの歩行禅(経行)
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円覚寺派管長・横田南嶺老師による提唱(他に横田南嶺老師との質疑応答の時間もあります。)

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掃除

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食事

 また、円覚寺近郊の公園にハイクに行きますので、持ち物として、上の写真にあるように、

1、水筒、

2、小さなカバンまたは、リュックサック(おむすびと水筒が入る大きさ)、

3、歩きやすい靴(こちらは、作務{庭掃除などの作業}でも使用)

4、タオル

を持参ください。

 また、今回も前回に引き続き、傾聴の時間があります。3~4人のグループのそれぞれに

和尚や雲水がつき、参加者の方々と対話をします。

<注意>

 宿泊坐禅会の期間中は、基本的に無言行(沈黙を守ること)となります。

 携帯電話の使用やお菓子やペットボトルなどの食べ物の持ち込みは

お控えください。施設の都合上、個室はございません。男女分かれて、

雑魚寝となります。

 また、多数の方々の応募が予想され、定員に限りがある為、

参加応募人数を超えた場合は、抽選となる可能性もあります。

ご了承ください。

 何か疑問点がありましたら、当メールにて、相談致します。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。

2018年7月11日

白隠禅師の毒

 
今日は、円覚寺専門修行道場(僧堂)では、講了を迎えました。

講了とは、雨安居(4~7月の修行期間)の講義の最終日です。

溽暑の中を坐り抜いた雲水さん。


以下は、今日の横田南嶺老師がされた提唱です。

「古来禅の修行は、荊棘(けいきょく)、即ちいばらの林の中を行くようなものだと言われます。

歩きやすい道ばかり選んでいるようでは駄目なのであります。

荊棘といういばらの道を進んでこそが修行です。そこで「荊棘林中一條の路」という

禅語もございます。

 北原白秋が、「からまつの林の奥も わが通る道はありけり 霧雨(きりさめ)のかかる道なり

山風のかよふ道なり」とうたいあげていますが、禅の修行は荊棘林中に一条の路を行くことであり、

そして「荊棘林中に活路通ずる」ものでもあります。

 それには、毒が大切なのであります。白隠禅の本領というのは、この毒にあります。

白隠禅師は、般若心経に註釈をして『毒語心経』という書を著しています。

また『荊叢毒蘂』という書物が白隠禅師の主著です。

 毒がなければ、人間は強くはならないのであります。そしてまた、毒こそが真の薬でもあるのです。

 毒によって、迷いの心を悉く殺し尽くすのであります。過去を思い悩んだり、

将来をあれこれ思惟して止まない心、人を分けて隔てる心、すぐに思い上がってしまう心を、

この毒によって殺し尽くすのであります。殺し尽くして始めて安居、安らかになるのです。

隻手の声を聞けというのも、無になれという無字の公案にしても、毒であります。

 この公案という毒を喰らって、あれこれと分別してやまない迷いの心を

殺し尽くすのが修行なのであります。

 白隠禅師は、毒にも薬もならないような、ただボヤッと坐って空しく時を過ごすことを

嫌いました。いばらの林の中をあえてかき分けてゆく、あえて毒を喰らうというのが白隠禅師の禅であります。

 暑い中ですが、暑いのが嫌だから涼しい処へ行こうなどいうのは、真の安楽ではありません。

この暑い中でどん坐ってこそ安楽です。」

講了にあたって、横田南嶺老師が作られた偈(宗旨をうたった漢詩)。

講義の最後に横田南嶺老師が偈をお唱えになって終了となりました。

2018年7月10日

信仰の力

 『武渓集』というような、禅の語録を読んでいて、天神さまを詠った漢詩がいくつも出てきて

不思議に思うかもしれません。昔は神仏習合であった名残でしょうか。

神さまも仏さまも一つとして信仰していたのでした。

 天神さまといえば、菅原道真公です。道真公が右大臣までなりながら、

讒言にあって太宰府に左遷されて、失意のうちに亡くなります。

その後、道真公の左遷に関わった者が次々と亡くなり、とうとう御所にも雷が落ちて死者がでました。

人々はみな道真公の祟りと恐れて、道真公を右大臣の位に戻し、天満大自在天神として

お祀りするようになりました。

 作家の童門冬二さんは、歴史を動かすのは怨みであると言われていますが、

怨念というのは恐ろしいものです。

 しかし、日本の神さまというのは不思議なもので、この怨念の道真公が神さまと祀られます。

そして学問の神さまとして信仰されるようになります。

 日本の臨済禅において大事な白隠禅師も、若い頃にどうしたら地獄の苦しみから脱せられるか悩んで、

母親から、あなたは丑年の丑月、丑の日丑の刻に生まれたから、天神さまと縁が深い、

天神さまを拝むようにと教えられて、一心に天神さまを信仰されました。

 天神さまは、本地仏が観音さまでありますので、白隠禅師は、天神信仰から

観音信仰へて転じてゆきます。観音さまを拝むことから法華経へとつながってゆき、

衆生はみな本来仏であるとの目覚めを得られます。そこから、ご自身が観音さまになって、

人々に広く『延命十句観音経』を弘められました。

 道真公の怨念が、天神さまになり、天神さまが観音さまになって、

白隠禅師の教えへと繋がっているのです。

 一念の怨みは恐ろしいものですが、これが神にも仏にもなる世界があるのです。

 白隠禅師なども、修行時代に幾度か挫折しそうになるのですが、

神仏を信じる信仰の力によって乗り越えておられます。

 この頃は、セルフコンパッションや自慈心などということの大切さが説かれていますが、

昔は、神仏を信仰することによって、神仏が見守ってくれているから大丈夫、

きっとよい方向に導いてくださると安心感をもって修行できたのでしょう。

神仏を信じることによって自然と自慈心が養われていたのだと思うのであります。

(横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)

2018年7月9日

とっさのはたらきー関山慧玄ー

 京都の妙心寺を開山された関山慧玄禅師は、とても枯淡な暮らしをしていました。

ある時、雨漏りがして、禅師は寺で修行していた小僧さん達に、

何か器をもって来いと言いました。ある小僧さんは、とっさにザルを持って

差し出しました。禅師は、この小僧さんを大いに褒められました。

 ある小僧さんは、台所に行って、何か良い器がないかと捜して

桶を持ってきました。これに対して、禅師は、役立たずめと言って叱りました。

 常識で考えれば、雨漏りにザルは何の役には立ちません。桶の方がずっと役に立ちます。

しかしながら、禅ではそんな常識を重んじません。

その時、その場、何の分別もまじえずにとっさのはたらきを尊びます。

役に立つとか立たないというのは二の次なのです。

 でも、そうかといって、このマネをしたところで、

禅師から大目玉をくらうことは言うまでもありません。

 あくまでも、その時その場でどう動くか、心のはたらきが問われているのです。

(横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)

2018年7月8日

管長 7月日曜説教会映像

 今日、円覚寺・大方丈で行われた横田南嶺管長による日曜説教会の映像です。

管長は、今年、100年の遠諱を迎えている明治時代の円覚寺派管長・釈宗演老師について

先日の慶応大学で行われた釈宗演老師の講演会では、語り尽くせなかった内容を

語られています。皆様、ぜひ、ご覧ください。

2018年7月7日

ミカンの湯ー政黄牛のこと3

 ある禅僧が、政黄牛のもとを訪ねてきました。夜が更けたので、一晩泊めてもらうことにしました。

政黄牛は、きれいなお月様を眺めながら、世間の人達は、ただあくせくとはたらいて心が乱れるばかり、

こんなきれいなお月様を今見ている人は、いったい何人いるだろうかなどと話しかけます。

 客人は、そうだなと答えていると、政黄牛が、寺の小僧さんに、火をおこさせて、

何かを炙っているようです。客人は、ちょうどお腹が空いていたので、

これは晩ご飯をつくってくれているのだろうと思っていました。しばらくして、

小僧さんが、ミカンの皮を炙ったのを一碗の白湯に浮かべてもってみえました。

客人は、このいかにも風流なおもてなしに感嘆しました。なんと清々しいのだろうかと。

 お腹はふくらまないかもしれませんが、心が満たされるという、

そんなおもてなしもあるのだと思います。

(横田南嶺老師 『武渓集提唱』提唱より)

2018年7月6日

老師 コーネル大学生との問答⑦


 横田南嶺老師とコーネル大学生との問答の第7弾です。

学生: 私は、この日本来日のプログラムが終わって、アメリカに戻ったら、

    (就職が決まっていて)すぐに働き始めます。ですけれど、これから

    する仕事は、とてもペースの激しい仕事なので、余裕もなくなり

    また、競争的な環境で、周りを囲む人々も競争的で自己中心的な人々

    になると予想されます。

    ですから、自分も、その中で、自己中心的になったり、慈悲の心を

    失ってしまう傾向になるのではないかと危惧しています。

    働いているうちに慈悲の心を失ってしまわないように、これまで

    育んできた慈悲の心をどうやって維持したらよいでしょうか?

老師: 慈悲の心というものは、そのような競争の人々の中にいたからといって

    決してなくなるものではないと思います。次元が違うと言うのかな。

    そのような競争の中にあっても、慈悲の心自体は減らないものです。

    例えば、どんなに嵐が吹いても、月は動かないようなものだ。

    あなたが本来持っている慈悲の心は、お月様のようなものだ。

    競争だといって騒いでいるのは、下の方だけだ。

    だから、一度、気がつくことができたなら、慈悲の心には、いつでも戻れるのだ。

(平成30年6月17日 コーネル大学生との質疑応答より)

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