2010年12月30日

お正月準備(本山)

12月30日(木)
今日は、本山にお正月準備に行って参りました。
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 まずは、お正月用の「蓬莱」と呼ぶお菓子を作りました。お正月は、蓬莱とこぶ茶をお出しします。
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次に、大方丈に大般若の準備。ちなみに、元日は、午前五時に佛殿で儀式が始まり、舎利殿大方丈の順に
場所を移動して、お経を読んでいきます。一般の方もご覧になれます。2日は、午前六時舎利殿、大方丈
3日は、午前五時舎利殿、大方丈となります。
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小方丈の掛け軸をダルマさんに換えました。お正月はダルマさんの掛け軸をかけます。
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食堂の掛け軸も換えました。「福海千尋深」と書かれています。
(お知らせ) 明日は、午後二時から佛殿で、除夜念誦があります。

2010年12月29日

お正月準備

12月29日(水)
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 老師に竹を切っていただいて、それに松、熊笹、臘梅、千両を活けてみました。
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山門両脇に。
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観音様も正月モードになります。

2010年12月29日

餅つきの風景

 12月27日(月)
今日は、僧堂(専門道場)に餅つきのお手伝いに行ってきました。
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 僧堂では、今でも薪で煮炊きをしています。
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 餅米をこうやって蒸かしています。
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 この臼のまわりに管長さんをはじめ雲水さんなど大勢の人が
集まり、「よいしょ!よいしょ!・・・」のかけ声に合わせて
お餅をついていきます。
 つきあがったお餅を鏡餅やのし餅の形にして出来上がり!

2010年12月19日

碧巌録51則

 12月19日(日)
 老師が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
 読売の正力松太郎さんが獄中に囚われたとき、
「この時が坐禅をする時だ!」と数息観(自分の呼吸を一つ二つ・・・と数える
呼吸法)に励まれたそうです。
 そうすることで、この先どうなるのか?どうして自分はとらえられてしまったのか?
どうしてこんな目に遭わねばならないのか?・・・と考えれば考えるほど
精神状態が錯乱していくことを避けることができたそうです。
 人間がいろんなことをくよくよと考えるほど恐ろしいものはない。
考えすぎてしまうことから、病になってしまうことも少なくない。
 禪の生き方は、ものを考えずに大自然の中に身を放っていくことだ。
考えない稽古に呼吸を調えたり、数息観をしたりする。
 ものを思わぬのは、仏の稽古なり。
 (後記)
  臘八大攝心も終わりやっと一段落つきました。しばらく更新できませんでしたこと
お詫び申し上げます。
 さて、土曜坐禅会は年内は12月25日が最終日となり、年始は1月8日に再開となります。
 宜しくお願い致します。
 居士林主事 合掌

2010年12月5日

無門関27則

 12月5日(日)
 老師が昨日土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
 「明るく生きることだけが私が子どもにしてあげる唯一のことなんです。」
これは、息子さんが大きな障害を負ってしまったお母さんの言葉です。
「もし、私が暗く沈んだり病気でもしたら、この子は自分のために
母親がこんなになったと自分を責めてしまう。あの子に対して自分は
何もしてあげられない。けれどもせめて自分が明るく生きることだけが
この子にしてあげられることなんです。ですから、明るく生きています。」
 とおっしゃったそうです。
 本当にその人そのことを思うことによって大きな力が明るい力が出てくる。

2010年12月1日

12月の掲示板

12月1日(水)
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 早いもので、もう師走ですね。

2010年11月29日

紅葉

 11月29日(月)
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 今一番きれいな時季ですね。

2010年11月26日

11月攝心最終日

11月26日(金)
老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 明治時代の外務大臣陸奥宗光公のお話です。
宗光公の最愛の娘さんが不治の病にかかり死の床で
「お父さん、私は死んでどこにいくの?」と問いかけたそうです。
それに対して、宗光公は、「これから死んでどこに行くのかと不安で寂しいのは
もっともな話だ。お父さんにもどうなるかそれはわからない。
けれども、あなたのお母さんは毎日毎日観音様を拝んでいる。
あなたの死ぬのも生きるのも全部観音様にお任せしている。
それより他に私たちにはしようがない。
全部観音様がいいように取りはからってくれるから安心しなさい。」
とおっしゃたそうです。
その娘さんは、観音様の名号をとなえて静かな最期を迎えたそうです。
 坐禅の修行も観音様を信じることも無我になることにおいては同じだ。
観音様を信じる、観音様にお任せするということは、自分の都合や我が儘を
全部投げ出している。みんな観音様が良いようにしてくれると思うことで
コロッと無我になることができる。そして、どんな境遇をも耐えうることの
できる「忍」の力を自ずと備えることができる。
 人生は不可思議
不可思議だからこそ全部観音様のお任せすることで安心を得ることができる。 
 
 

2010年11月25日

僧堂攝心6日目

 11月25日(木)その2
老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 私たちの迷い悩みのおおもとは、心の向けようにある。
一心の向けようによって、仏ともなり鬼ともなる。
 普段私たちは心を内から外に向けてしまいがち。
心の外に向かって好きな音楽、おいしいものなど自分に心地のいいものを
求めてしまう。でも、実はその外に求める心が迷いの根本なのだ。
 迷い苦しみから解放されたいなら、その流れをかえよう!
流れをかえて心を外から内にむけよう。
 この聞いているものはなにものか?
 この見ているものはなにものか?
 この意識はどこにあるのか?
絶えず自分に問いかけてみよう。
 
 最新の脳科学の研究でも、いくら脳の中を解明しても意識の主体は
見当たらないとのことだ。意識記憶はこの虚空に充満していて、
私たちは個々の脳神経を通してその一部を受けているということも
言われている。
 臨済禅師も遙か昔に同じ事をおっしゃています。
その聞いているものはどこにあるのか?を追究していくと
姿形はないけれど、この世界一杯に充満しているものと。
 
 いくらさがしても、「この聞いているもの」は見当たらないと気づくと
そこは、只一枚の仏心の世界。天地一杯の自分。
(後記)先週から1週間ばかり風邪をひいて休んでおりましたが、おかげさまで快復しました。
 ブログも更新できず、坐禅会も代わっていただくなど、いろいろとご迷惑をおかけしたこと
 お詫び申し上げます。
 みなさんも体には十分に気をつけてくださいますように。
    
 
 
 

2010年11月25日

僧堂攝心4日目

11月25日(木)
老師が一昨日僧堂で提唱されたことをまとめてみました。
妄想無き時は一心是れ佛國土
妄想ある時は一心是れ地獄。
なにごとも妄想を離れることが大事。
何にもひかからぬ事だ。
妄想といっても馬鹿にならぬ
下手をすると身心をむしばむ。病気にもなりかねぬ。
昔黙雷老師の公案にある。
ある武士が幽霊屋敷に泊まった。
夜になって女中さんが飛んできて
鍋が歩き出したという。
昔の鍋はかなえの足がついていた。
武士はあわてず、なに鍋にも足がある
歩いても不思議ではないという。
しばらくすると
また女中がきて
こんどは鉄瓶がしゃべり出したという
武士はあわてず
なに鉄瓶にも口がある
しゃべっても不思議はないという。
こんどはまた女中が走ってきて
おくどさんに松茸が生えてきたという
こんどは武士は、ぐっと答えに詰まった
そこで幽霊に喰い殺されてしまったという。
松茸が出てきてそのときになんと答えたらよいかという
黙雷さんの公案だ
ひかかったらおしまいだ。

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