比叡山へ
世の中に 山てふ山は 多かれど
山とは比叡の 御山とぞいふ
という慈円僧正の和歌があります。
世の中には山という山は数多くあるけれど、本当に『山』と呼ぶべきものは、比叡山こそである。
という意味であります。
日本の聖地であります。
比叡山は標高八百四十八メートルあります。
もったいないことですが、車で登りますので、乗っているうちに延暦寺に着くのであります。
比叡山延暦寺を開創されたのは伝教大師、最澄であります。
伝教大師最澄は西暦七六七年のお生まれ、延暦四年七八五年に奈良の東大寺戒壇院で具足戒を受け、正式な僧侶となられました。
受戒後三ヵ月ほどで奈良を離れ、比叡山に分け入り修行の生活に入られたのでした。
その後、延暦七年七八八年に一乗止観院という後の根本中堂を創建し、本尊として薬師如来を刻まれました。
その折に、
あきらけく 後(のち)の仏の御世(みよ)までも
光りつたへよ 法(のり)のともしび
という和歌を詠まれました。
そして薬師如来のご宝前に一つの明かりを灯しました。
これが今日まで「不滅の法灯」として灯し続けられているのです。
根本中堂はただいま工事中でありますので、なんと有り難いことに、その御前立の薬師如来立像と不滅の法灯を、萬拝堂(まんぱいどう)に移して特別に公開されていて、お参りさせてもらいました。
近くで拝ませていただくことができました。
比叡山宗教サミットは、いただいたパンフレットにある比叡山メッセージによると、「一九八七年八月三日、四日、比叡山開創一千二百年を記念して、平和のために祈るべく「比叡山宗教サミット」に参集したわれわれ、世界の諸宗教の代表者は、世界平和に真摯な思いを寄せる宗教者および他のすべての人びとに対して、心からのメッセージを送りたい」という思いによって始まったものです。
それは「平和のために祈るべくわれわれがこの地に共なることは、一九八六年一〇月、諸宗教の指導者が集ったアッシジにおける世界平和祈願の日のあの開かれた精神をいまここに継承するものである。
かの地に集った宗教指導者たちは、自らの宗教的伝統を忠実に守り、自らの信仰を貫きながら、しかも今日の悩める世界に対して、平和と人間の大義に献身しようとする宗教共通の決意を力強く証ししようとした。」
という趣旨なのであります。
はじめに延暦寺会館で、杉谷義純先生のご講演がありました。
杉谷先生は、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会会長でいらっしゃいます。
この比叡山宗教サミットの最初から関わってこられた方であります。
天台宗の宗務総長を勤められ、ただいま京都妙法院のご門跡でいらっしゃいます。
世界の宗教者が集まるのは、明治二十六年一八九三年のシカゴ万国宗教会議に始まると仰せになっていました。
釈宗演老師もご参加されたものです。
ただこの時は、まだ世界の宗教の紹介だけであったと言われました。
その後研究や議論を重ねられて、宗教の垣根を越えた対話へと進展してきたのでした。
一方で、そのような対話は宗教混交への懸念を持つ人々も存在していたというのです。
一九六二年の第二回バチカン公会議では、カトリック教会の大きな転換点となり、他宗教との対話、交流へと方針を転換したのでした。
これは大きな転機だったとお話されていました。
一九七〇年に世界宗教者平和会議(WCRP)が発足して活動を始めたそうです。
杉谷先生は、対話の重要性を次のように語ってくださっていました。
対話を成り立たせるために最も大切なのは、お互いを対等な存在として認め合うことです。
そして、相手に対する深い敬意を持つことが欠かせません。
組織と組織、あるいは国と国との外交を見ても、相互理解や対等な関係を築くことは決して容易ではありません。
一人ひとりが相手を尊重する精神を持つことによって、初めて平和への理解が生まれていきます。
宗教は、人間を超えた大いなる存在に目を向けることです。
たとえ特定の宗教を信仰していない人であっても、人間を超えた何かに対して畏敬の念を抱き、その前で祈ることがあります。
その祈りを通して、人はさまざまな気づきを得るのです。
人知を超えたものに畏敬の念を持って祈ることによって、いかに人間は小さなものであるか気づくことができます。
その祈りを継続することによって平和の方向へと進んでいくことができると仰せになっていました。
演題となっていた「平和は祈りと対話を続ける勇気が支える」ということを力強く説いてくださっていました。
ご講演のあと、会場が一隅を照らす会館前の「祈りの広場」に移って、平和の祈りが捧げられました。
世界仏教徒連盟パロップ・ダイアリー会長のメッセージなどが披露されていました。
ダイアリー会長のメッセージの中に、
「仏教は、生きとし生けるものの心はすべて、深く繋がり合い、互いに依存し合っていると説いております。
人間は、他の生き物とは異なり、物事を判断し、自らの意志で選択する能力を有しています。すなわち、平和をもたらすのか、争いを生み出すのかは、私たちの決断次第なのです。
穏やかな心は、穏やかな言葉を生み、穏やかな行動を導きます。
私たちが内なる平和を育むとき、それは思考を通して外へと広がり、日々の行いとなって立ち現れます。
さらには、怒りや憎悪、不寛容といった負の感情を捨て去り、思いやり、慈悲、許し、寛容、共存のような清らかな精神を育むことによってのみ、真の平和と調和がもたらされ得ると仏教では教えております。
心を鍛え、倫理に基づく生活を通じて心の内に平和を築くことが、この広い世界に恒久平和をもたらす礎となるのです。」
という言葉がありました。
最後に天台座主の名代として堀澤祖門先生がお言葉を述べられました。
「このような時代であるからこそ、私ども宗教者には果たすべき大切な使命があります。
それは、対話を通して相互理解を深め、互いの違いを超えて心を結び、共に平和を祈り続けることであります。
祈りは決して無力ではありません。
祈りは人の心を変え、人と人とを結び、平和への道を切り開く力となります。
人々の心に真の安らぎが訪れますよう、神仏の尊いお導きのもと、宗教者がさらに連帯を深め、恒久平和の実現に向けて力を尽くしてまいりたいと存じます。」
と力強く説かれていました。
そのあと、懇親会に参加させてもらいました。
堀澤先生にも御挨拶させていただきました。
平和について私たちに何ができるか、仏教徒として出来ることは何か、それは対話と祈りを継続していくことだと改めて深く心に刻むことができたのでした。
横田南嶺