いつもほほえみを
孝道山というのは、横浜市にある孝道教団の本山であります。
孝道山は、1936年(昭和11年)岡野正道師が、日々の生活の中に仏教の教えを生かすお寺をつくりたいという願いをもって建てられました。
ですから今年、孝道教団は開顕九十年となっています。
仏教で最も大切な思いやりの心を、古いインドの言葉(サンスクリット語)で表すと「マイトリー」です。
その「マイトリー」を漢訳では慈悲の「慈」と表しています。
友情や思いやりを意味します。
岩波書店の『仏教辞典』にも「慈悲の〈慈〉(maitrī)は,mitra(友)から派生した「友愛」の意味をもつ語で、他者に利益や安楽を与えること(与楽)と説明される」と解説されています。
そのマイトリーの心を広く人びとに伝えるため、孝道山が開かれて50年目の1986年(昭和61年)から、5つの標語を掲げてマイトリー運動を行っています。
それが「慈の五修」と呼ばれています。
慈の五修とは
大自然の中に生かされている自分の存在を知ろう
家族に対する責任を果たそう
人びとと共に喜びも苦しみも分かち合おう
すべての生きものに対する思いやりをもとう
自分のもつ能力を世の中のために生かそう
というものです。
素晴らしい教化活動をなされています。
またお堂もそれぞれご立派であります。
その孝道山で、夏季仏教文化講座の講師に招かれたのでした。
少し早めに着いたので、あらかじめ孝道山の一番奥にある仏舎利殿にお参りしました。
この仏舎利は1952年(昭和27年)に比叡山からお迎えされたそうです。
孝道山は比叡山とのご縁が深く、特に、伝教大師が唐(中国)から請来した仏舎利をご分骨しておられるのです。
それから開祖がお祀りされている孝順堂に参拝して、更に大黒天をお祀りしている大黒堂にもお参りしました。
境内を歩いていると、すでに講座に見えている方もいらっしゃいます。
いつも円覚寺の日曜説教などでもお見受けする方もいらっしゃいました。
平和の鐘をお祀りしている鐘楼がございます。
この鐘は1954年(昭和29年)、に作られたそうですが、今の鐘は2017年に鋳造された二代目だそうです。
毎日午前七時と午後五時に撞いておられるということです。
諸堂をお参りさせていただいて、本仏殿に入りました。
そこで、今の岡野正純統理と副統理にご挨拶させていただきました。
孝道山は、建仁寺ともご縁が深く、私も建仁寺の修行僧であった頃に、孝道山にお参りさせてもらっています。
先代の統理様にもお目にかかったことがあるのです。
今の統理様は三代目でいらっしゃいます。
そんなご縁で何度もおうかがいしていますし、何年か前にも講演をさせてもらったこともあるので、親しくお話させてもらいました。
いよいよ講演の時間となり、会場に入ります。
広い広い会場で、大勢の方が集まってくださっていました。
はじめに統理様がご挨拶をなされ、私のことをご紹介くださいました。
毎日のYouTubeラジオ管長日記を配信していることにも触れてくださいました。
あまりにお褒めの言葉をいただいて恐縮しながら、講演を始めました。
毎日のYouTubeラジオ管長日記のことに触れて、統理様にご紹介いただいたような殊勝な心がけではなく、私のボケ防止で続けていますと申し上げました。
人間はなにもしないでいると、衰えてゆきます。
筋肉は使わないと衰えますし、頭も使わないと衰えるものです。
生命は衰え、崩れ、壊れゆくのです。
それだから生きることには努力をしないといけません。
私たちも何も意識せずにいると、表情は暗くなってしまいがちなのです。
微笑めなくなってしまいます。
ほほえみは努力していないと失われがちなのです。
いつもほほえみをたたえていられるにはどうしたらよいか、そのために日日良い習慣を身につけることが大事ですと話を始めました。
はじめに小泉八雲の言葉を紹介しました。
『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン角川ソフィア文庫 池田雅之訳)にある言葉です。
「相手にとっていちばん気持の良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれるひとたちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑みをむけるのがしきたりである。そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされている。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。」
八雲が来日したのは明治23年1890年のことです。
八雲が注目されたのは日本人の微笑だったのでした。
そんなことから「いつもほほえみを」と題して話をさせてもらったのでした。
ほほえみの心が土台にあれば、孝道教団と説いている慈の実践にもつながるのです。
横田南嶺