未来に希望を持つ
西山十海和尚は那智勝浦町の海辺にある海蔵寺の長男として生まれます。
幼い頃から僧侶になることを意識して育ちました。
私と同じ新宮高校を卒業して、東京学芸大学で学び、愛知県一宮市の妙興寺で修行されます。
その後、都内で中学校の英語教師として六年間勤務していました。
その間に東日本大震災を経験され、さらに同じ年には紀伊半島大水害を目の当たりにしたことから、地元に帰るべき時ではないかと感じ、帰郷しました。
そこで大泰寺の前住職が高齢で退かれることになり、次の住職が見つかるまでという約束で引き受けたものの、そのまま現在まで住職を務めることになっています。
大泰寺は、伝承では伝教大師最澄様が開いたとされる古刹です。
薬師堂は約六百年前の建物で、薬師如来像は約八百五十年前の作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています。
境内は山一つを含む広大なもので、文化財の維持に加え、山林や竹林の整備も大きな課題でありました。
住職就任直後には山の斜面が崩れ、竹林も荒れ果てて川を詰まらせるほどだったそうです。
文化財の仏像も傷みが進み、修復には多額の費用が必要でした。
そこで西山和尚が考えたのが宿坊でした。
那智勝浦町には熊野古道を訪れる外国人観光客が多くいますし、英語教師としての経験も活かせると思ったのでした。
また、貴重な文化財を多くの人に見てもらう機会にもなります。
さらに、宿坊には防災拠点としての意味もありました。
大泰寺はもともと地域の避難所に指定されていましたが、水害の時には布団も風呂も食料備蓄もなく、十分な役割を果たせなかったのです。
そこで宿坊として布団や入浴設備を整えれば、ふだんは宿泊者を受け入れ、災害時には避難者を支えることができると考えられたのでした。
西山和尚は、宿坊を寺の維持と地域防災の両面から位置づけたのであります。
二〇一九年に宿坊を始めると、多くの外国人客が訪れたのでした。
ところが翌年、新型コロナウイルスの流行で海外からの予約はすべて消え、大きな打撃を受けました。
コロナ禍ではさらに、境内の広い旧保育所跡をキャンプ場にし、キャンピングカー用のRVパークも整備されました。
鹿の害に悩まされていた土地も、人が泊まることで鹿が出にくくなり、思わぬ効果があったと仰っていました。
アウトドアサウナも始められました。
山林整備で出る薪を活用できますし、外国人客が来られない時期の収益を支えてくれたのでした。
宿坊では朝の読経にも参加できますし、坐禅体験もできるようになっています。
和歌山県内には住職のいない寺が多く、西山和尚も複数の寺を兼務したり管理しています。
それぞれ新しい試みをして維持されようと努力されています。
地方寺院は過疎化や高齢化によってこれからたいへんだと言われますが、西山和尚は、新しい可能性があると仰っていました。
都会の寺にはない山や川や滝、静けさや季節の音、そして文化財なども地方にあります。
宿坊や坐禅体験、写経や書道、精進料理、庭づくり、サウナなど、多様な入口を通じて人々が寺に触れることができるというのです。
若い修行僧たちに、これからのお寺に希望を持てる話をしてくださいました。
やはり未来に希望を持って明るい方へと進んでゆきたいものです。
新しい試みにはいろんなご意見もあろうかと思いますが、真摯に取り組んでおられる西山和尚には大いに学ぶところがあります。
横田南嶺