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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.05.10
今日の言葉

無名の禅僧

五月四日がいつの頃から祝日になったのか、覚えもないのですが、今はみどりの日というそうです。

三日から五日まで円覚寺では国宝舎利殿の特別公開をしていました。

三日の晩から四日の明け方まで強い暴風雨となりました。

朝早くから私も修行僧たちに混じって境内に掃除をしていました。

このあたりが、どうも禅僧の習慣のようなもので、とにかく人さまが見える前に掃除をしておかなければならないと思っているのです。

お参りに来てくださる方のいる中で、掃除をしていてもよいようにも思います。

お参りの方に、掃除をしながら挨拶をするのも良い気もします。

しかし、私たちは掃除をしている姿などを見られるのはよくないと教えられてきました。

そんな次第で、とにかく門を開けるまでには境内の掃除を終わらせるように努めています。

その日は、私は湯島の麟祥院の勉強会に参りました。

いつものようにまずは小川隆先生による『宗門武庫』のご講義であります。

『宗門武庫』というのは、ひらたくいうと、禅僧の逸話集のようなものです。

逸話ですから、いろんな話が載っています。

あまり有り難い話ばかりではありません。

なかにはなぜこんな話が載っているのかなと思うものもあります。

今回学ぶ逸話は、とてもいいお話です。

恵淵首座という禅の歴史の中ではほぼ無名といっていい方ですが、とても素晴らしいお方なのです。

恵淵首座についての記述は、『宗門武庫』のこの話しか残っていないそうです。

この話が後の文献に引用されていることはあるということです。

どんな話なのか、あらましを述べます。

洪州奉新県に慧安院というお寺がありました。
この寺は、黄龍山、洞山、黄檗山などの名刹の間を行き来するのに、必ずといっていいほど、立ち寄られるところでありました。

この時代の禅寺では、旅の僧には、宿泊や食事のお世話をするのが当たり前でした。

そこで、行脚している多くの修行僧達のお世話をよくなさっていたお寺なのです。

そのお寺の住持という、今で言えば住職になる人がながらくいませんでした。

そこでその洪州の長官が、真浄克文禅師にだれかよい人がいないか書状で尋ねました。

しかし、真浄禅師のもとにいるお坊さんたちは誰も行こうとはしませんでした。

小川先生は、「住持職の有資格者たる高位の僧たちがことごとく「慧安院」の住持となることを忌避したのは、同院が零細で、かつ行脚僧の投宿にばかり利用される寺――名誉も実利もなく、ただ面倒な負担ばかりが多い小さな寺――だったからであろう。」と解説してくださっていました。

そこで、誰の行きたがらないのを聞いて、恵淵首座という方が、真浄禅師に「私が行くことができましょうか」と言いました。

真浄禅師も「あなたなら行くことができる」と言います。

そして住持の辞令を受け取るとすぐに慧安院に行きました。

この恵淵首座という方は、北の人で、人に与せず孤高を保ち、晦堂禅師と真浄禅師のもとで悟りを得ていたのですが、ひっそりと身を隠すように皆の中ではたらいていたのでした。

誰もその恵淵首座の真価を知る者はなかったというのです。

真浄禅師の門下の湛堂禅師が、恵淵首座に「あなたは、慧安院に行ったら、どのように住持されるのか?」と問います。

恵淵首座は、「それがしには福が無いので、あらゆる人々と縁を結ばねばなりません。自分で柳行李を背負い、街で托鉢してお坊さんたちを養うつもりです」と答えます。

湛堂禅師は、「それはあなたでなければできぬことです」と称えました。

そこで湛堂禅師は漢詩を贈りました。

恵淵首座は、慧安院に住すると、毎日自ら托鉢し寄付を集めたりして、修行僧たちに供養していました。

行脚の僧が来るとすぐに招いて休ませてあげていました。

惜しむことなく修行僧のために食事と宿泊の世話を続けていたのでした。

そのようにして三十年雨の日も風の日も休むことがなかったというのです。

更には寺の整備にもつとめて、佛殿など叢林にあるべき建物はすべて建造したのでした。

素晴らしい禅僧であります

やがて恵淵首座は慧安院で亡くなりました。

荼毘に付した後、六根のうち三つが焼けずに残り、無数の「舍利」が得られ、不思議な香りが室内に満ち、それが何か月も絶えることがなかったというのです。

舎利が残るというのは高僧であることのしるしでもあります。

後に兵火で、多くの寺の建物が無残に破壊され、何ひとつ残存するものが無くなったなか、ただ慧安院の諸殿だけが堂々とのこっていたというのです。

これが願力の成就、神のご加護でないことがありえようかと書かれています。

こういうのを徳があるというのだと思います。

恵淵首座という方は禅の歴史に載るような方ではありませんが、綿密に修行して悟りを開き、それを誇ることもなく黙々とはたらき、皆が行きたがらない慧安院にあえて入寺して、毎日街に出て托鉢して寄進いただいて、行脚する修行僧たちのためには惜しみなく食事や宿泊のお世話をして、更に寺の建物も整備なされたのでした。

仰ぎ見るような方であります。

禅の歴史を学ぶと、臨済禅師や趙州禅師や五祖法演禅師などという名だたる禅僧の言葉を学びますが、そのかげには、このような名も知られぬ多くのすぐれた禅僧もいたことを知っておくべきだと思いました。

そして禅が今日にまでこうして伝わっていて、私たちが今も何不自由なく坐禅をしたり修行できるのは、そのような歴史の中に埋もれながらも黙々と徳を積んで来られた禅僧方のおかげであることを忘れてはいけないのであります。

 
横田南嶺

無名の禅僧

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