花まつり終える
では「灌仏会」を調べると、
「四月八日に釈尊の降誕を祝して行う法会。
花で飾った小堂(花御堂)を作り、水盤に釈尊の像(誕生仏)を安置し、参詣者は小柄杓で甘茶(正しくは五色の水)を釈尊像の頭上にそそぎ、また持ち帰って飲む。
日本には中国から伝わり、606年飛鳥寺で行われたのを最初とし寺院・宮廷・民間の行事として広まる。降誕会。仏生会。竜華会。花祭。」
と書かれています。
この中にある「龍華会」という言葉は聞き慣れません。
こちらを調べて見ると、
一番に「釈尊が入滅してから56億7千万年後、弥勒菩薩がこの世に下生して仏となり、華林園の竜華樹下で説法するという会座。
3回にわたって行うので竜華三会・弥勒三会ともいう。」とあり、
二番に灌仏会の異称と書かれています。
将来の世に弥勒菩薩が兜率天から下り生まれて、竜華樹の下で悟りを開くといわれ、その出現を待つ法会という意味で竜華会ともいうのであります。
お釈迦様のお生まれになったのをお祝いする法会が灌仏会であり、花まつりとも言うのであります。
花まつりと呼ぶようになったのは、安藤嶺丸さんからだと聴いた記憶があります。
安藤嶺丸さんとは、浄土真宗大谷派の布教師で、大正五年東京で花祭りをはじめたと言われています。
昭和一八年七四歳でお亡くなりになっています。
明治の頃にも灌仏会を花まつりと呼んだとも言われているので、定かではありません。
甘茶をかけるのは、いつ頃からなのか、これもよく分かりません。
江戸時代頃からではないかとも言われています。
それまでは湯や香湯をかけていたと思われます。
もともとは、お釈迦様がお生まれになった時に、九頭の龍が現れ、甘露の雨を降らせてその身を清めたという言い伝えからきています。
お生まれになった場所は、ルンビニと言います。
今はネパールのタライ地方です。
ここは一八九六年に遺跡が発掘されたのでした。
アショーカ王は即位後二〇年目にこの地を巡礼し,釈迦の生誕の地を記念して石柱を建てています。
ルンビニは、漢文では「藍毘尼園」や「毘藍園」などと書かれています。
お母様の摩耶夫人が、出産のため帰郷する途中、ルンビニ園の無憂樹の枝に右手を伸ばした際に、お釈迦様がお生まれになったと伝えられています。
お釈迦様のご生涯については、岩波書店の『仏教辞典』には簡潔に記されています。
「釈迦は生後七日目に生母を失い、叔母マハープラジャーパティ(摩訶波闍波提(まかはじゃはだい))によって養育された。
16歳のとき妃を迎えた。
妃の名は、伝承ではヤショーダラー(耶輸陀羅(やしゅだら))としているが、明確ではない。一子ラーフラ(羅羅(らごら))をもうけた。
この頃、深く人生の問題に悩み、ついに29歳(一説に19歳)で出家した。
バラモン(婆羅門)の道を求めず、むしろそれを批判し、自由なシュラマナ(沙門(しゃもん))の道を歩んだ。
はじめアーラーダ‐カーラーマ、ついでウドラカ‐ラーマプトラという聖仙の修定主義者のもとで禅定を修した。
すぐに体得したがまだ満足しなかった。
そこでマガダ国のウルヴィルヴァー(苦行林)の山林に籠って、食事もとらずに難行苦行に従事し、ついには肋骨が見えるほどになっても悟りは得られなかった。
この6年(または7年)間の苦行の無意義であることを知って中止し、ナイランジャナー河(尼連禅河)で沐浴後、村の娘の捧げる乳糜(にゅうみ)(牛乳で調理した粥)を飲み体力を回復した。
それからブッダガヤー(仏陀伽耶)のアシュヴァッタ樹(無花果(いちじく)樹)のもとで沈思瞑想し、ついに35歳で大悟した。」
と書かれています。
お生まれになったときの木が無憂樹であり、悟りを開かれたときの木が菩提樹、そしてお亡くなりになったときの木が沙羅双樹で、この三つの木が、関わっていいます。
更に『仏教辞典』には、
「釈迦の教えは、人間の生きるべき道を明らかにしたのであり、この道と、それを構成する心・身の諸要素をダルマ(法)と呼んだ。
人生の苦しみから脱し、迷いの生存(輪廻)を断ち切って自由の境地に至る。
それが解脱であって、涅槃という。
そのために、苦をもたらす諸要素としてのダルマのその関係性(縁起)を明らかにしようとした。
また涅槃に到達するための実践として、正しい見解、正しい思考、正しい瞑想(禅定)からなる八正道(はっしょうどう)の実践を説いた。」
と解説されています。
その教えが、インドから中国、朝鮮を経て日本にも伝わっているのです。
有り難いことに、私は、二年前の二月に、このルンビニにおまいりさせていただいています。
ルンビニの景色を思い浮かべながらお勤めをしていました。
ルンビニのアショーカ王柱も近くで拝ませてもらったのでした。
遺跡を覆うマヤ堂にもお参りさせてもらいました。
紀元前三世紀(アショカ王の時代)と想定される地層で発掘された石碑がございました。
マヤ堂のそばには、マヤ夫人がお釈迦様を産む前に沐浴をされたとか、お釈迦様が産湯に浸かったといわれる池もありました。
そんな遠くルンビニの景色を思い浮かべつつ、礼拝を繰り返していました。
有り難いお勤めをさせてもらいました。
横田南嶺