伊豆の古刹
翌朝は、まだ早いうちに、円覚寺派の古刹である国清寺にお参りしました。
円覚寺派のお寺の中でも三か寺ある特例地のひとつであります。
国清寺は、『禅学大辞典』にも次のように解説されています。
「國清寺 臨済宗円覚寺派。 山号天長山。
静岡県田方郡韮山町にある。
開基は畠山国清。
造営は上杉憲顕。
開祖は佛真禅師無礙妙謙。
文覚上人の蟄居した奈古屋寺の聖観世音立像をうつして本尊に安置す。
創建のころは寺塔堂宇は整い、七八宇を有し、足利義満の時には関東十刹の一に加えられた。延徳三年(一四九一)兵火にかかって焼け、わずかに大雄宝殿(応仁年間の建立)を残すだけとなり、のち再建し、諸堂完備している。
寺内に五院の塔頭あり、五八個寺の末寺を有し、寺宝に慈覚作の多聞天王像、運慶作の金剛力士像等多く蔵する。」
と書かれています。
開山の無礙妙謙禅師については、
「妙謙 (?~一三六九) 臨済宗。
字は無礙。
武蔵(埼玉県)の人。高峰顕日の法嗣。
伊豆(静岡県) 天長山国清寺の開山。
元に渡り、江浙の禅林を遍歴し、中峰明本について修行し、帰国の時、崇報寺の行中至仁が送別の詩を贈った。
帰国の後、鎌倉の寿福寺に住した。
上杉憲顕は伊豆に国清寺を開創して師を開山とし、晩年に如意庵に退いた。
応安二年七月一三日示寂。
勅して佛真禅師という。」
というのであります。
国清寺の全盛期には、子院が七十八もあったというのですから、どれほどの大寺院であったか、想像しがたいほどです。
今も佛殿があり、方丈や庫裏があり、鐘楼もございます。
大寺院のおもかげが残っています。
この国清寺には私も何度かお参りさせてもらっています。
久しぶりにお参りしても、朝の霊気の満るころでもあり、とても清澄な気に満ちていました。
それから今回初めて毘沙門堂にお参りしました。
かねてより、国清寺の毘沙門堂というのがあると耳にしていましたが、お参りするのは初めてでありました。
国清寺から二キロほどのところにあります。
歩いてもいける距離ですが、朝のうちにお参りしなければ時間がないので、車で案内してもらいました。
寺のパンフレットによると、この毘沙門天は、慈覚大師の作と伝えられているそうです。
そしてここにかつて文覚上人が庵居していたのでした。
文覚上人については岩波書店の『仏教辞典』に
「生没年未詳。
平安末期から鎌倉時代初期の真言宗の僧。
もと上西門院の北面の武士で、遠藤盛遠といった。
源渡の妻袈裟御前に横恋慕したうえ誤って殺害し、懺悔して出家したという。
諸国で練行を積んで帰京、源頼朝の帰依を受けて荒廃した高尾山神護寺(じんごじ)を再興。
また東寺の大修復をも助けた。
頼朝の没後、源通親の謀叛に連座して佐渡に、のち対馬に流された。」
という僧であります。
この毘沙門堂は、お寺でいただいたパンフレットには、東海の巨刹安養浄土院がその起源だと書かれています。
そこに文覚上人が配流されて住んでいたのでした。
同じ頃に、蛭が島に配流されていた源頼朝と親交が生まれたのでした。
ここで文覚上人が平家打倒の挙兵を促したとも伝えれています。
安養浄土院は、地元では奈古谷寺と呼ばれいたそうで、その後に「授福寺」と改められました。
室町時代には、国清寺の奥の院となっているそうです。
この毘沙門天が、五十年に一度ご開帳されるというのです。
五十年前には、朝比奈宗源老師が管長の頃で、朝比奈老師が「授福」と書かれた扁額が掲げられていました。
私もこのたびのご開帳に「授福」の書を揮毫させてもらったのでした。
そんなご縁で一度お参りしてみたいと思っていたのでした。
毘沙門天は、『仏教辞典』には、
「<多聞天(たもんてん)>ともいう。
<毘沙門>は原語に相当する音写で、<多聞>はその訳。
ヒンドゥー教における財宝の神クベーラの別名。
仏教神話では、須弥山の第4層にいて四天王のうちで最も由緒正しい神で、夜叉・羅刹の衆を率いて北方を守護する善神。
十二天の一。
福徳の名が遠く聞こえるというので<多聞天>、財を授けるから<施財天>ともいわれ、北方守護の武神として尊崇される。
わが国での信仰は全国的で、特に鞍馬寺のそれは著名。
鎌倉末期には、すでに七福神の一つに数えられる。」
と書かれています。
戦国の武将達にも信仰され、上杉謙信が信仰していたことはよく知られています。
毘沙門天は甲冑をまとい、宝塔を持つ勇壮な姿で表されるため、武士にとって理想の守護神であります。
毘沙門堂は険しい参道を登ったところにありました。
途中に仁王門があります。
仁王門には二体の仁王様がお祀りされています。
その仁王様はなんと五十年前のご開帳の時に解体修理して、文治二年(一一八六)に頼朝が運慶や湛慶に命じて作らせたことがわかったというのです。
その年には静岡県の重要文化財に指定されています。
すばらしい迫力のある仁王像でありました。
沼津の寺の法要に行く前の朝の時間でしたが、国清寺とその毘沙門堂にお参りできて有り難いことでありました。
富士山も拝むことができ、国清寺は清澄な気に満ちていました。
こんなお寺で、イス坐禅ならぬイズ坐禅でもできればいいなと思ったのでした。
その後、沼津のお寺で法要を勤めて夕方に鎌倉に戻ったのでした。
横田南嶺