黙に宜し
「坐禅一筋で人前で法話される機会が少なかったとお聞きしております。
今は、YouTubeをはじめ、講演など、積極的に発信をされておられます。
法話をするようになったきっかけを教えていただきたいです。」
ということでした。
坐禅ひとすじなどというとおこがましいことですが、それしかしてこなかったのでした。
今思いましても、人前で話をする練習などしたこともありません。
臨済宗では人前で話をするには、布教師という資格を得て行うのですが、そのような資格を持っているわけでもありません。
講習を受けたこともありません。
それでいて、その講座の講師を務めたことがあるのですから不思議であります。
まだ管長に就任する前に、法話をした原稿がいくつか残っています。
平成十五年の法話では、はじめにこんなことを語っています。
「「何事の言うべき事は無かりけり問わで答うる松風の音」という歌がございます。
こうして新緑の円覚寺の中で、鳥のさえずる声に、松吹く風の音に耳を澄ましていますと、もうこれ以上何を言うべきことがあろうかというほどの意味でございます。
ことに我々禅宗では、「禅は黙によろしく喧によろしからず」といいまして、禅は黙っているのがいいので、しゃべったり説明するのはよくないということです。
ただ、黙って何も言わないのが、禅の本領です。」
と書かれています。
はじめの頃はなれないものですから、しゃべるとおりの言葉で原稿を書いて、そのとおりに話をしていたものです。
ですからこんなことをはじめにしゃべっていたのでありました。
そのあとに、このようなことをしゃべっています。
「この「黙」、黙っていることの尊さを、毎回お話しています。そうしますと私の話を聞いてくださった方から、あの「黙」の話がよかったとよくいわれるのであります。
そのたびに、よほどこれは黙って居ればよかったと思われるのです(笑)。
法話のあとある方からお手紙をいただきました。
この方はご遠方からわざわざ出て見えられていた方です。
やはり手紙にもあの「黙」の話がようございました、とありまして、その後の話は眠気に襲われて聞きそびれましたと書いてありました。
「黙」の話は最初の出だしでその後一生懸命お話したつもりだったのですが、遠方から見えた疲れからか、すっかり眠ってしまったというのであります。
ああこれはよほど、「黙」の話だけで、あと黙っておけばよかったと悔やまれたのでございます。
しかしながら、思い返しまして、師匠であります足立管長がよく言われました「お説教というのは前に座っているお年寄りがよく眠るようになったら一人前だ」ということであります。その手紙を読んで、ああ自分も少しは説教らしくなった証拠かと思い返したのであります。」
とこんな話をしています。
それから
「この「黙」ということでいつも御紹介する詩がございます。私自身自分を振り返り戒める為にも、また今日も紹介させていただきます。こんな詩です。
うしろ姿
語る人尊し
語るとも知らで
からだで語る人
さらに尊し
導く人尊し
導くとも知らで
うしろ姿で導く人
さらに尊し (安積得也『一人のために』)
私自身も若く未熟ですけれども、もっと若い大学出たての雲水修行僧をお預かりさせていただいて、何を指導していくかということを考える時、いつもこの詩を思うのであります。
あれこれ口でやかましく言ってもかえって反発を招くだけです。
むしろ黙って行じていく、黙って一緒に食事をして、黙って一緒に坐禅を勤め、黙って一緒に掃除をし、黙って一緒に托鉢に出かける、唯これだけで勤めてきました。これしかありません。」
と語っています。
それから更に南禅寺の管長であった柴山全慶老師の「花語らず」の詩を紹介しています。
花は黙って咲き
黙って散っていく
そうして再び枝に帰らない
けれどもその一時一処に
この世のすべてを托している
一輪の花の声であり
一枝の花の眞である
永遠に滅びぬ命の喜びが
悔いなくそこに
輝いている (柴山全慶老師)
この黙って唯ひたすらに行じていく、それがすべてです、それしかありません。教えてやろうとか、導いてやろうとかそんな気持ちがあってはいけません、そう何時も自分に言い聞かせているつもりです。」
というのであります。
はじめの頃は、そんな話をしていたのでした。
そのころからもう二十年以上も経つのですが、進歩したのかどうか、むしろ慣れてしまって退化したように感じています。
慣れないことはするものではありません。
もう今から十五年前に管長に就任して、それまで坐禅の暮らしから、いろんな人に会わねばならず、また人前で話をしなければならずで、体調を崩して管長就任一ヶ月で入院することになったのでした。
それほどまでに、人前で話をすることは苦手でありました。
入院した時には、体はたいへんでしたが、これでしばらく誰にも会わないですむとホッとしたことを覚えています。
法話を始めたきっかけというのが特別あるわけでなし、ただ法話を頼まれて行うというだけであります。
しかし、本腰を入れるようになってきたのは、やはり東日本大震災からだったように思います。
それまでは、先ほど紹介した法話のように元来禅は黙に宜し、よけいなことは言わないでいいのだという思いを強く持っていました。
それが、震災があって被災地にお見舞いに行って、何か伝えないといけないという思いに駆られたものでした。
特に東日本の大震災があって、その年の秋には、ふるさとの紀州で豪雨の災害がありました。
私のふるさとでも多くの方が亡くなり被害が大きかったのでした。
ふるさとの町から頼まれて豪雨被害から二年経った時に講演をさせてもらったこともありました。
なにかを伝えなければと思わざるを得なかったのでありました。
その時の講演がもとになって私の初めての著書『祈りの延命十句観音経』が出版されたのでした。
このたびこの本が第六冊と増刷になりました。
延命十句観音経を唱えて祈る、そしてつたないけれども話をするようになったのでした。
尋ねられて、そんなことを思い起こしていました。
横田南嶺