新しい年を迎える
新しい年を迎えるにあたって、まず坂村真民先生の「鳥は飛ばねばならぬ」の詩を読んでみます。
鳥は飛ばねばならぬ
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
一月一日であります。
新年おめでとうと申し上げますと共に、あの能登の震災からちょうど一年でもあります。
お亡くなりになった方も大勢いらっしゃいました。
お身内を亡くされた方もいらっしゃいます。
復興が進まず不自由な暮らしの方も多いとうかがっています。
お見舞いを申し上げます。
たいへんな状況だとは思いますが、人は生きなければなりません。
生きねばや 鳥とて雪をふるいたつ
という俳句をみたことがありました。
降りかかってくる雪を振り払っても鳥は飛ばねばならないのです。
よく新年の抱負ということを言いますが、私はもう今年何かをしようということはありません。
継続であります。
一昨年に始めたイス坐禅の会も、昨年に始めた布薩の会も共に好評なので、これを継続していくことが私の課題であります。
それをどのように工夫してゆくのかを考えてまいります。
イスの坐禅を研究するおかげで、私自身、自分の体をよく学ぶことができました。
この体は実に仏様だと実感しています。
こんな素晴らしいものをいただいているのであります。
その素晴らしさを表すために、八百万の神々が身中に鎮座していると言ったりしたのだと思います。
昨年の最後のイス坐禅は年末の二十六日となりました。
これは月の後半に、私の出張の仕事が多くなった為でありました。
京都一泊二日、一度鎌倉に帰って、山口に一泊二日新幹線で往復して、更に新大阪に一泊二日して博多に行って帰ってきました。
大移動でありましたが、おかげで常に腰を立てることを意識していると疲れも感じないのです。
イス坐禅で腰を立てる、腰椎五番を少し前傾させるようにするだけで楽に坐れます。
また足の方も、同じ位置にしないように、動かしたり、持ち上げたり様々なことを常に試みていました。
前回のイス坐禅もいろんな新しいことを試みましたが、太ももの裏を足の裏だと思って坐るということを伝えてみました。
イスの坐り方にもいろいろあることを伝えたのでした。
仏像にも交脚といって、足を交差させてイスに坐っている姿があります。
イスが低かったり、足の長さなどの関係で、足を交差させた方が安定する場合があります。
そうしますと足の裏の小指球で地面を押すことになります。
その小指球で地面を押す反力で腰が立ちます。
また以前足が地面に着かない場合はどうするのかを聞かれましたので、その場合は太ももの付け根から立ち上がる気持ちで坐ることを伝えました。
これは、いつも佐々木奘堂さんに足の付け根で立つことを座るというのを学んでいますので、それを伝えようとしたのでした。
足の付け根で立つ、これは素晴らしいことです。
ただそのように言葉でいうだけでは伝わりにくいので、まず座骨を手で触ってもらい、座骨を感じてもらい、座骨のあたりが足の裏の踵に相当すると思って、太ももの裏側が足の裏だと思うのです。
そこで太ももの裏にテニスボールを入れて、テニスボールを股の裏で踏み潰すように圧をかけてもらいました。
そうして座骨から太ももの裏が足の裏だと思って、右のももうらを持ち上げ、左のももうらを持ち上げてと、交互に足踏みをしてもらいました。
そうすると、ふとももの裏が足の裏になっているとだんだんと感じられるようになってきます。
そのももうらを足の裏としてしっかり踏みしめて坐るのです。
これで抜群に安定して坐れます。
参加された方もこの方法が目からうろこで、後の坐禅が今までないくらいよく坐れたと言ってくださっていました。
これは、イスに坐って足が床に着かない時はどうすればいいのですかという質問をいただいて考えたことであります。
前回のイス坐禅では、たくさんの質問にお答えするようにしました。
いつも体操でいろんな方法を教えていますので、「どれがベストなストレッチ方法なのか?」という質問や「どの足の組み方がいいのか?」という質問などがありました。
なにか教科書にあるような正解を求めているのだと感じました。
これで絶対だいじょうぶというような正解があると思っているのかもしれません。
そこで私は何が一番いいかは、皆さんの体が知っていますと答えました。
禅には特定の経典や聖典がありません。
銘々一人一人が仏であるという教えです。
教祖も聖典もない宗教だと言われるのです。
イス坐禅でもそうなのです。
これが絶対というような教科書があるわけではありません。
私はただ参考までにいろんな方法がありますよと伝えているだけです。
どれが一番いいか、どうしたらいいか、答えはすべて皆さんの体が教えてくれます。
それで「いちばんの教科書は自分の身体」ですよと伝えたのでした。
そのことをホトカミの吉田亮さんがnoteに投稿してくれていました。
その中で、「特に後半の坐禅では、もっとずっと座っていたいと思うほど、心地よく座ることができました。」と書いてくれていますが、これは私自身も全くその通りだったのです。
ふと時計を見ると八時半になっていて、もう終わりだと思ったのですが、終わりの合図を鳴らすのがもったいないように感じました。
体が溶けてなくなってみんなの中に溶け込んだような状態でありました。
やはりあれこれと体をほぐして正しい位置に修整して調えて坐るととてもよく坐れるのであります。
多くの方が喜んでくれていますので、今年も継続してゆこうと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いします。
横田南嶺