苦行は慈悲行
どこに書いていたか、分からなくなっていましたが、中村元先生の『ゴータマ・ブッダ上』を読んでいると、そこに書いていました。
「ゴータマの修行の年数は古い詩句によってみると「七年間」であった。また釈尊は『七年間慈心を修した』(AN. vol. IV.) とある詩句のうちに記されている。」
と書かれているのです。
苦行は六年とも七年とも記述されています。
いずれにせよ、その苦行は「慈心を修した」、慈しみの心を修めたというのです。
これはいったいどういうことでしょうか。
中村先生の『ゴータマ・ブッダ上』には更に、
「ただ『七年間慈心を修した』という右の句は、短いけれども注目すべきである。
一般に仏教は慈悲の教えであると考えられているが、釈尊はみずからそれを体現したと古い時代から伝えられていることも、文献的に立証されたことになる。
「慈しみを修する」ということは、精神的内面的に重大な意義をもっているのみならず、それには一種の不思議な霊力が加わると考えられていたのである。
一部の学者のあいだでは、慈悲の精神はのちの大乗仏教になって強調されたことであり、最初期の仏教は独善的なものであったと考えられているが、しかし右の詩句からみると、慈悲の精神はゴータマの修行の中心的位置を占めていたことが知られる。」
とあるのです。
これはますますこの慈悲について調べようと思いました。
中村元先生には、講談社学術文庫に『慈悲』という本があります。
そのはじめに、
「慈悲は仏教の実践の面における中心の徳である。
「慈悲は仏道の根本なり。」
慈悲は仏そのものであるとさえもいわれる。
日本でも、慈悲は仏教そのものであり、仏は慈悲によってわれわれ凡夫を救うものであると考えられている。
仏教徒の間においてのみならず、仏教外のインドの宗教家、例えば、ラーマクリシュナ・ミッションの人々でさえも、慈悲の観念は仏教に特徴的なものであると考えている。」
と書かれているように、慈悲ということは仏教の中心にあるものです。
では更に慈悲の内容について学んでみます。
『慈悲』の本には、
「「慈」と「悲」とはもとは別の語である。
「慈」とはパーリ語のメッター、サンスクリット語のマイトリーという語の訳である。
この原語は語源的には「友」「親しきもの」を意味する mitra という語からの派生語であって、真実の友情、純粋の親愛の念を意味するものであり、インド一般にその意味に解せられている。
これに対して「悲」とはパーリ語及びサンスクリット語のカルナーの訳であるが、インド一般の文献においては「哀憐」「同情」「やさしさ」「あわれみ」「なさけ」を意味するものである。
しからば、慈悲とどうちがうか、ということが問題となる。
南方アジアの上座部仏教においては、「慈」とは『(同朋に) 利益と安楽とをもたらそうと望むこと』であり、 悲とは「(同朋から)不利益と苦とを除去しようと欲すること』であると註解している。
このような解釈は、また大乗仏教にも継承されている。
例えば、ナーガールジュナはいう、
「慈とは、衆生を愛念することに名づけ、常に安隠と楽事とを求めて、(それを)以てこれ(=衆生)を饒益す。
悲とは、衆生を懸念することに名づけ、五道の中の種々の身の苦と心の苦とを受くるなり。』
『大慈とは一切の衆生に楽を与え、大悲とは一切の衆生のために苦を抜く。
大慈は喜楽の因縁を衆生に与え、大悲は離苦の因縁を衆生に与う。」
かかる解釈はその他の諸経論にもあらわれている。」
と丁寧に解説されています。
慈悲の慈は、楽を与えること、悲は苦を抜くことです。
そこで与楽と抜苦と説かれます。
さてその慈悲と苦行とどう関わるのでしょうか。
中村先生の『慈悲』には興味深い記述があります。
「慈心観は種々に説かれているが、甚だ興味深いのは、その生理的物理的な効果が説かれていることである。
すでに原始仏教において「慈心もて一切の生ける者をあわれむなら、その人は多くの功徳を生ずる」と説かれていた。
そこでさらに進んで慈心は自身を敵から守る力があると考えられるに至った。
すでに経典でも『慈定に住する者は、刀・毒・水・火も皆害すること能わず。
必らず災横無くして命終を致す」という。
すなわち慈悲を行なえば非常な功徳が得られ、例えば敵にも傷つけられなくなるなどと説いている。
「人が慈を身にそなえた刹那においては、その人に対して火も毒も刀も作用を及ぼさない。
かれに対して何人が不利を与えようと欲して近づいても、かれを見出さず、またかれにおいて機会を得ない。』
慈は矢を貫通しない冑のようなものである。
毒矢に射られたりするのは慈の修行を怠ったからである。
釈尊がぼだい樹下に坐して悪魔の誘惑と戦っていたときには、魔軍の降らす炎や火の粉が、かれの慈無量心によって美しい蓮華の花弁に化したという。」
というのであります。
慈悲の心には悪魔もかなわないというのです。
悪魔との戦い、降魔は実に慈悲の実践によって克服していったというのです。
それから中村先生の『慈悲』には、禅宗についての考察もなされています。
これが実に興味深いものです。
中村先生は、
「恐らくシナの禅宗は、道教その他古来の伝統的なシナ思想の影響を受けて、隠遁的諦観的となり、進んで慈悲行の実践につとめるということを閑却していたのではなかろうか。
シナ禅宗史全般について検討してみた上でないと断定的なことは言えないが、筆者には何となくこのような印象を与えるのである。」
と書かれています。
たしかにそのような一面もあるといえましょう。
更に「ところが禅宗が日本に入ると、他の諸宗派におけると同様に慈悲行を強調するようになった。
道元の場合には慈悲ということばをそれほど頻繁に用いていないが、臨済禅を日本に導き入れた栄西は、慈悲ということばを表面に出している。
かれは禅宗が空を悪く執着したものではないか、という質問に対して、『外は律義もて非を防ぎ、内は慈悲もて他を利す。これを禅宗といふ。」と答え、禅の修行者の心得としては、
「まさに大悲心を起し、……大菩薩清浄妙戒を具し、広く衆生を度し一身のために独り解脱を求めず。」と説いている。」
とありますように日本の臨済禅では慈悲が強く説かれるようになっているのです。
これは注目すべきことだと思いました。
禅と慈悲との関わりもまた興味深い課題であります。
横田南嶺