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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.12.02
今日の言葉

臘八示衆

臘八示衆という短い文章があります。

『五家参詳要路門』に載せられているものです。

臘八のそれぞれの晩に、白隠禅師がお示しになったものです。

初日の示衆を紹介します。

朔日夜、示衆に曰く、
夫れ禅定を修する者は、先ず須く厚く蒲団を敷き、結跏趺坐し、寛く衣帶を繋け、脊梁骨を竪起し、身体をして斉整ならしむ。

而して始めて数息観を為す。

無量三昧中、数息を以て最上と為す。

氣をして丹田に充たしめ、而る後に一則の公案を拈じて、直に須く断命根を要すべし。

若し是の如く歳月を積んで怠らずんば、たとい大地を打って失すること有るも、見性は決定して錯らず。

豈に努力せざらんや。豈に努力せざらんや。

というものです。

坐禅の基本を説いてくださっています。

禅定を修めようと思う者は、まず厚く座布団を敷きます。

ことにお尻を高くする事が大事であります。

よほど慣れてくると、低い坐布でも坐れるようになりますが、ある程度の高さがないと、慣れないうちは腰が落ちてしまいます。

腰が引けてしまっては、どうにもなりません。

結跏趺坐とありますので、よく知られた坐り方で、両方の足を反対側の股の上にのせて坐る座法です。

これがやはり一番安定します。

おへそのまわりに、ほどよい引き締まった感じがして、丹田にも気が自ずと満ちるものです。

寛く衣帯を繋けとありますのは、服装をあまりきつく締めすぎないことです。

しかし、だらっとした服装ではよくないので、ほどよい締め付けが良かろうかと思います。

我々ですと着物の帯を締め、その上に法衣をまとい、手巾というのを腰にまきます。

ほどよいしまりと緊張感が大事であります。

それから脊梁骨を竪起するというのがもっとも肝心なところです。

『広辞苑』に「脊梁」とは「せぼね。せすじ」と解説されています。

脊梁骨は背骨です。

背骨を立てる、これは人間の人間たる由縁でもあります。

まず一番の根元は、仙骨です。

仙骨を立たせることです。

仙骨が後ろに傾いてもいけませし、前傾のしすぎもよくありません。

仙骨のすぐ上の腰椎五番が前傾するくらいがちょうどよいものです。

大地に向かってまっすぐに背骨を立てるのだという気持ちで坐るのです。

身体をして整斉ならしむとは、体をきちんと調えることです。

背骨を立てて、手もだらっとするのではなく、きちんと法界定印という印を組みます。

右の掌の上に左の掌を重ねて、両方の親指をかすかに合わせます。

この法界定印がまた実に理にかなった方法です。

臨済宗では、両手を組み合わせて坐る方法をするところも多いのですが、円覚寺では法界定印です。

私も鎌倉に来たころには、この法界定印になかなか慣れませんでした。

まず上腕を外旋させます。

そして前腕を内旋させてうちに向けます。

更に手首を外旋させます。

最後に親指を内旋させて指先を合わすのです。

ですから、外旋、内旋、外旋、内旋とらせんがかかります。

これが実に体をささえてくれるようになるのです。

よく考え抜いた見事な手の組み方であります。

「而して始めて数息観を為す」とありますように、まず息を数えます。

これも初歩のやり方のようですが、奥が深いものです。

何年何十年坐ってきてもゆったりと息を数えるのは良いものです。

山本玄峰老師の『無門関提唱』には、この臘八示衆についても提唱されています。

玄峰老師の言葉を拝聴しましょう。

「さて始め数息観をなす。

どんな大切なことを人と話すにしても、自分の息が数えられないようなことだったら、ほんとうのことはできやせん。

それじゃから人と大事な話をしたりするときは、第一に息をしずめて、全身、足の先から頭の先までずつと一つになってやる」

と説かれています。

そのあと「無量三昧中、数息を以て最上と為す」と白隠禅師はお示しです。

いろんな心の集中の仕方がありますが、息を数えるのが最上だというのです。

「氣をして丹田に充たしめ、而る後に一則の公案を拈じて、直に須く断命根を要すべし」と白隠禅師は親切に示してくださっています。

気を丹田に充たすのは、禅定に入るにはとても重要です。

下腹が自ずと充実してくるように坐ります。

断命根について玄峰老師は、次のように提唱されています。

「身体を斉整せしめ、数息観をやる。

そうして一則の公案、直に断命根じゃ。

肉体の中にある貪瞋癡、八万四千の妄想、この命根をすつきり断たにゃいかん。

そうなると本来の面目がガラッと開ける。

八万四千の妄想も煩悩もふつとぶ。

ちょうど大般若の十六善神がみな悪人だった、それがみな護法善神になってくる。

自分らもそうじゃ。何もやりかえるわけでも、入れかえるわけでもない。

自分で持っておるのじゃ。

渋柿が甘柿になる。

渋柿でなければ甘柿にならない。

渋いも渋い。

それが途端に甘柿になる。」

というのです。

これが煩悩即菩提の消息です。

更に玄峰老師は「若し是くの如くして歳月怠らざれば、たとい大地を打つて失すとも、土を叩いて、庭を叩いて叩きそこなう者はない。

的ならうちそこなうことがあるが、大地は打ち損いはない。
その大地を打つて失することがあろうとも、見性は決定して錯らず。豈努力せざらんや努力せざらんや、と。まずこういうように、白隠さまは第一日の示衆に示された。」

と説かれています。

坐禅の道の間違いのないことがはっきり説かれています。

お互いこの一週間努力するのであります。

 
横田南嶺

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