僧堂修行について
近現代教団研究部門研究会で、僧堂教育の現在と未来というテーマで講演を依頼されたのでした。
そこで「僧堂修行について思うこと」と題して講演してきました。
このような学術大会に招かれるとはまことに恐縮でありました。
昨今、曹洞宗でも臨済宗でも僧堂の問題は大きな課題となっています。
そこで、最近私が円覚寺の僧堂でいろいろ試みていることが、曹洞宗の方のお耳にも入ったようで、講演を頼まれた次第なのです。
学術大会ですので、講演では僧堂修行の一番の根本について話をしました。
そしてその根本をおさえた上で、今日取り組んでいることをお話しました。
同じ禅宗でも私たちは馬祖から臨済へと伝わった禅の教えです。
曹洞宗は、青原禅師石頭禅師から洞山禅師へと伝わった禅の教えです。
とりわけ今日の曹洞宗は道元禅師の教えを信奉しておられます。
同じ禅とは言え、違いもあります。
そのことをお断りした上で私が学んでいる臨済の教えをお話しました。
まずは馬祖禅師と南嶽禅師の甎を磨く話をしました。
甎をいくら磨いても鏡にはならないように、いくら形だけの坐禅をしても仏にもならないという話です。
坐禅という形だけを守っているのでは、仏を殺してしまうことになるという話です。
そこで、では何が大切かというと、心だということになります。
心といってもその定義は難しいのですが、馬祖禅師や臨済禅師は、今こうして話を聞いているもの、しゃべっているもの、歩いているもの、それが心であり、仏であると説かれました。
馬祖禅師は、心こそ仏であると明示されました。
心こそ仏でありますから、仏道は何もことさらに求めるものではないのです。
もし修行して何か得るものがあるというなら、得るものは失われるものであります。
ただ汚れを受けないことが大事です。
汚れとは何かというと、ことさらに聖なる価値を外に求めて修行することです。
煩悩を斥けて悟りと求めようとすることです。
ただありのままの心がそのまま道なのです。
これが平常心是れ道という教えであります。
そしてその心は体の中に小さくおさまっているようなものではなく、むしろ心の中で私たちは活動しているのです。
私たちのあらゆる営みは、みな心のはたらきであり、仏の営みだということになるのです。
これが場祖禅師の教えの基本であります。
黄檗禅師もその教えを受け継がれています。
一切の人は全体まるごとが仏だと説かれました。
更に臨済禅師は、
「諸君、仏法は造作の加えようはない。ただ平常のままでありさえすればよいのだ。糞を垂れたり小便をしたり、着物を着たり飯を食ったり、疲れたならば横になるだけ。愚人は笑うであろうが、智者ならそこが分かる。」(岩波文庫『臨済録』50~51頁)と説かれたのでした。
しかし、そうかといってただ何もしないでありのままでいいというのではありません。
臨済禅師も「仏法は造作の加えようはない。ただ平常のままでありさえすればよいのだ」と仰せになりながら、同時に「諸君、出家者はともかく修行が肝要である。」とも仰っています。
まだなにも分からない頃には、真っ暗な中をさまよっていたというのです。
そこから「わしなども当初は戒律の研究をし、また経論を勉学したが、後に、これらは世間の病気を治す薬か、看板の文句みたいなものだと知ったので、そこでいっぺんにその勉強を打ち切って、道を求め禅に参じた。その後、大善知識に逢って、始めて真正の悟りを得、かくて天下の和尚たちの悟りの邪正を見分け得るようになった。これは母から生まれたままで会得したのではない。体究練磨を重ねた末に、はたと悟ったのだ。(岩波文庫『臨済録』96~97頁)
という経験をなさったのです。
唐代の禅の修行をみてみると、戒律を学んで戒に則った暮らしが基盤にあって、その上で坐禅し看経し作務をしていたと言えます。
これは今日の僧堂にも受け継がれています。
「体究練磨して、一朝に自ら省す」という体験をどうしたら私たちも出来るのかということで、宋の時代になってくると、公案というものを用いて、あえて修行僧を迷わせて暗闇の中をさまよわせて、その結果気づかせるという修行方法を確立してゆきました。
これが看話禅という手法であります。
あえて解釈の不能な言葉を与えて、苦しませるのであります。
苦しませておいてハッと気づかせるというものです。
その言葉を「真っ赤に焼けた鉄のかたまりを吞み込んだようなもので、吐き出そうにも吐き出すことができない。
それまでの誤った認識を根絶やしにし、ただ『無字』となってその状態を保てば、いずれ内と外が一つになるだろう。
そうすれば唖の者が夢を見たようなもので、自分だけがわかっていて、他人に伝えることはできない。
突然気がついたならば、天を驚かし地を動かすだろう。」
という『無門関』の言葉を示しました。
日本に伝わった臨済禅は、そんな看話禅でありました。
栄西禅師の『興禅護国論』に、
達磨宗の教えとして
「我われは、菩提を得ているのだから、煩悩などは存在しない。
だから、戒律は必要ではないし、修行などすることもない。
ただ寝転がっていればよいのである」と書かれています。
しかし栄西禅師は、「この人は、禅の真の教えにとって悪影響を及ぼす以外、何ものでもありません。」と否定されています。
栄西禅師はとりわけ戒律を重んじられました。
戒律をもとにした暮らしは、禅では清規といって規律正しい僧堂の暮らしとなってゆきます。
規律正しく坐禅を主とした修行が日本の禅になっていったのです。
それが鎌倉の武士などに受け入れられたのでした。
更に江戸時代の鈴木正三の言葉を紹介しました。
お百姓さんたちに農業が仏道だと説いたのでした。
一鍬一鍬南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と耕作すれば悟りに至ると説かれました。
作務をするにも、一鍬一鍬「無」「無」となりきって修行するのであります。
公案の修行と、馬祖禅師のあらゆる営みが仏のはたらきだというのが相まって、あらゆる行いに全身全霊を打ち込んでゆけば、それこそ「随処に主となれば立處皆真なり」というようになったのです。
これが今日の僧堂の修行なのであります。
しかし、いかなる営みをしていようと仏の現れであることを見失ってはいけません。
修行したから特別なものになると思ってもいけません。
そこで盤珪禅師の言葉を示しました。
眠る僧がいて、それを叩く僧がいると、眠った僧ではなくて、叩いた方の僧を叱ったという話です。
眠れば仏心で眠り、覚めたら仏心で覚めるだけのことで、仏心が別のものになるということはないというのです。
これは馬祖禅師の教えを忠実に再現しています。
いかなる営みも仏の現れなのです。
このことを忘れてはなりません。
今回私に講演を頼まれたのも、この頃警策を使わないということが、曹洞宗の和尚様のお耳にも入ったからだそうなのです。
最後には、鈴木大拙先生の
「禅者の言葉に「教壊」と云ふがある。これは、教育で却つて人間が損はれるの義である。物知り顔になつて、その実、内面の空虚なものの多く出るのは、誠に教育の弊であると謂はなくてはならぬ。(『鈴木大拙全集十巻』P227)」
という言葉を示しました。
教えるというよりも、一緒になって学んでいるのですと伝えたのでした。
横田南嶺