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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.11.03
今日の言葉

白隠禅師と地獄

白隠禅師のことは、『広辞苑』に、

「江戸中期の臨済宗の僧。名は慧鶴(えかく)、号は鵠林。駿河の人。若くして各地で修行、京都妙心寺第一座となった後も諸国を遍歴教化、駿河の松蔭寺などを復興したほか多くの信者を集め、臨済宗中興の祖と称された。気魄ある禅画をよくした。諡号(しごう)は神機独妙禅師・正宗国師。著「荊叢毒蘂」「息耕録」「槐安国語」「遠羅天釜(おらでがま)」「夜船閑話」など。(1685~1768)」

と解説されています。

東海道の原宿のお生まれです。

五歳のときの逸話があります。

ひとりで海に出かけて、そこに浮かんでいる雲を眺めて世の無常を感じて大声で泣いてしまったというのです。

こういう無常観は高僧方に共通している点であると思います。

ただし、一般には病気のために死にかけたとか、親と早くに死に別れたというような体験が原点にある場合が多いのです。

ところが、白隠禅師はなんというわけでもなく、海辺で雲の浮かんで消えていく様子を見ていて無常を感じたというのです。

世間の無常のさまを観じて、しばしば泣くことがあったというのですから、実に感受性が強かったのでした。

お寺に行くことが好きだったようで、七歳の頃に、お寺で法華経提婆品の講義を聴いて、それを覚えて帰り、年寄りたちにその通りに話して聞かせたところ、一人の老婆が感激して涙を流したといいます。

そんな白隠禅師ですが、十一歳のときに、お寺で地獄の話を聞きました。

その様子を禅文化研究所発行の『白隠禅師年譜』から芳澤勝弘先生の現代語訳を参照しましょう。

「ある日、母に連れられて昌源寺に行った。

そこで伊豆窪金(雲金)の日厳上人が『摩訶止観』を講じられ、その中で地獄の説相を説くのを聴いた

(原本によれば『摩訶止観』の中に地獄を説く一段があるように解されるが、そうではない。

『壁生草』では「日蓮上人御書」を講じたとある。

講義の合間に地獄の諸相を話したということであろう。)

上人の弁舌は実に巧みで、(熱鉄や釜の上で身を焼き苦しめられる) 焦熱地獄や(身が裂けて真っ赤になる)紅蓮地獄の苦しみを目の前に見えるかのように話した。

岩次郎はこれを聞いて身の毛がよだった。

(岩次郎は白隠禅師の幼い頃の名であります。筆者注)

そして心に思った、「自分は常日頃、好んで(小動物を)殺害するなど、乱暴をほしいままにして来た。

だからきっと地獄に堕ちて永遠に苦しみを受けるだろう。

もはや逃れようはない」と。

全身が戦栗して、何をしていても心が穏やかではなかった。

またある日、母と一緒に風呂に入った。

母は熱い湯が好きだったので、下女に薪を加えて追い焚きをさせた。

風呂釜はしきりに鳴り出し、釜には炎が燃え盛っている。

熱気がシュンシュンと肌を衝いて、乱れ矢を受けるようである。

岩次郎はたちまち、あの地獄のことを思い出して、大声で泣き出した。

何事があったのかと皆が集まってきて、あれこれとなだめたけれども泣き止まない。

しばらく泣き続けて、泣きつかれたころを見計らって、母がなでながら言った、「おまえは何を怖がってこんなに泣くのかい。

男の子がわけも言わずに、こんなに泣くものではありません」。

岩次郎は涙をおさえて言った、

「地獄の苦しみが恐ろしいのです。

身の置きようもありません。

今、母上と一緒に風呂に入っておってさえ、こんなに恐ろしいのに、たった一人で暗闇に燃える地獄に堕ちるとは。どうやってそれを免れたらいいのでしょう」。
母が言われた、「おまえが恐怖から逃れることができる、いい方法があります」。

「ありますか」。

「ありますとも」。

岩次郎は「あれば、それでいいです」と言って、また子供たちと走り回り、叫びまわって遊んだ。」

というのであります。

その後母から天神様を拝むように教わり熱心に天神様を信仰しました。

更に観音経を覚えて毎日唱えていました。

そんなある日、村の祭りにでかけて鍋冠り日親の話を聞きます。

日親上人というのは、『広辞苑』に

「室町時代の日蓮宗の僧。上総の人。

京都に出て折伏教化を行い、本法寺を開く。

1439年(永享11)「立正治国論」を著して捕らえられ、種々の拷問を受ける。鍋冠日親と通称。」

と解説されています。

幕府に捉えられ役人に問い詰められました。

「法華の行者にはいかなる霊験があるか」。

日親上人は、「法華の行者は火に入っても焼けず、水に入っても溺れず」と答えます。

役人は真っ赤に焼けた鉄鍋を頭にかぶらせたのでした。

日親上人は一心に法華の題目を念じて立っていました。

この話を聞いた白隠禅師は、一心に観音経を唱えて焼けた火箸を股につけてみたのでした。

もちろんやけどをしてしまいます。

そこで白隠禅師は、やはり出家して道を求めるしかないと心に決めたのでした。

このように地獄を恐れる心が白隠禅師の求道の始まりとなりました。

柳田聖山先生は「地獄に気づいた人は少ない。しかし真に地獄を脱した人は更に少ない。まして他のために地獄に下った人は稀である」と仰っていますが、白隠禅師はまさに地獄の恐ろしさに早くから気がついた方でした。

そして後に大悟して、地獄の苦しみから逃れることができました。

しかし、決してそれでよしとするのではなく、更に地獄に苦しむ人々を救おうと地獄に降りてゆかれたご生涯なのでした。

 
横田南嶺

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