大木に習う
木や草と人間と
どこがちがうだろうか
みんな同じなのだ。
いっしょうけんめいに
生きようとしているのを見ると
ときにはかれらが
人間より偉いとさえ思われる
かれらは時がくれば
花を咲かせ
実をみのらせ
自分を完成させる
それにくらべて人間は
何一つしないで終わるものもいる
木に学べ
草に習えと
わたしは自分に言い聞かせ
今日も一本の道を行く
という詩であります。
真民先生の詩の中でもよく知られているものであります。
私もよく引用させてもらう詩です。
『坂村真民全詩集』第二巻にある詩です。
おなじく第二巻に「大木」という題の長い詩もあります。
長いのですが、こちらも読んでみましょう。
大木
Ⅰ
父が死んだ
玉名の家の広い庭には
樹齢六百年にもなんなんとする
いちいの大木があった
わたしは毎日
この木を仰いで
思いを馳せた
今にして思う
わたしが大木を好むのは
少年の頃からすでに木の精が
わたしに入り込んでいたのだと
わたしは旅に出て
大木を見るのが
何より嬉しい
2
わたしは小さい時から
お寺やお宮が好きだった
それはお寺やお宮には
たいてい大きな木があり
それがわたしには
神や仏のように
思われてならなかった
わたしは八歳で父を失い
それを境として
生活も急変した
履くものも
自分で作らねばならなくなり
学用品も
自分で働いて買わねばならなかった
そうした孤独なわたしに
いつも父のように力となって
励ましてくれたのが
大木たちであった
坂村という姓のように
坂ばかりの山村で
独りぽっちのわたしには
山の木たちだけが友であった
わたしは大木に近づき
大木と話をしているときが
一番たのしかった
3
大木たちが
わたしに教えてくれた
一番忘れられない話は
根の大事さということであった
目に見えない世界と
目に見える世界とがある
美しい葉や
美しい花や
美しい実は
見える世界であるが
それらをそうさせる
一番大切なのは
大地に深く根を張り
夜となく昼となく
その木を養っている
幾千幾万の
根の働きということであった
わたしは大木の下に坐して
そうした話に聞き入り
元気をとりもどしては
また歩き出して行った
目をつぶると
それらの木々たちが
いまもわたしに話しかけてくる
という長い詩であります。
講談社+α新書の『花ひらく 心ひらく 道ひらく』という真民先生の詩集には、この第3のところが「大木」という題で掲載されています。
もともとの詩は、このようにとても長いものなのです。
第3の根の話も大切ですが、この一番と二番に語られる真民先生の大木への思いもとても大事であります。
八歳の時に、当時小学校の校長だったお父さんが急にお亡くなりになったのでした。
それからこの詩にあるようなご苦労が始まったのです。
「山の木たちだけが友であった」という日々を送られたのです。
そんな思いをなされていたからこそ、真民先生の詩は今も多くの人の心に響くのです。
全詩集第二巻には大木にまつわる詩がいくつかあります。
大木をたたく
大木に近寄り
大木に触れ
大木をたたく
ああ手に伝わってくる
大木の情感よ
大木は身をふるわせ
わたしに呼びかけ
わたしに訴える
その一瞬の一致(ユニテ)よ
大木の幹
大木の幹にさわっていると
大木の悲しみが伝わってくる
孤独というものは
猛獣にすらあるものだ
万年の石よ
沈黙の鬱屈よ
風に泣け
月に吼えろ
大木と菩薩
大木は
いつも瑞々しい
それは
いつも伸びようと
しているからだ
菩薩は
つねに若々しい
それは
つねに夢を持って
いられるからだ
第三巻には、「大木を仰げ」という詩があります。
大木を仰げ
堪えがたい時は
大木を仰げ
あの
忍従の
歳月と
孤独とを
思え
というのです。
また第三巻にも「大木」という題の詩があります。
大木
木が美しいのは
自分の力で立っているからだ
広い屋敷には村一番の
いちい樫の大木があった
その頃がわたしの
一番幸せな時であった
いちいの実のおちる音を
父のそばに寝てじっときいていた
八つのとき父が急逝し
流転の人生が始まった
そんな時いつもわたしを励まし
力づけてくれたのは
独りで立っている大木であった
というのです。
真民先生が幼少の頃から大木に心を寄せ、大木に力づけられてきたことがわかるのです。
円覚寺には、開山仏光国師がお手植えになったと伝わる柏槇の大木があります。
あの大木のように坐れと教えられたものです。
大地に深く根をおろして空に向かって枝を伸ばし、大木のように坐るのです。
臨済禅師が松を植えられたことから、松を禅寺に植える習慣があります。
景徳伝灯録には松ではなく杉となっていますが、松や柏のように常緑樹であることが大事なのです。
色が変わることのないものです。
仏光国師の語録には、
「允賢(いんけん)二上人、松を栽うるを謝する上堂」という一節があります。
二人の禅僧が松や柏槇を栽えてくれたのに、仏光国師が御礼を言われた説法です。
そのなかでも、黄檗禅師のところでは臨済が松を栽えたが、巨福山建長寺では松を植え、柏槙を植えるのだと書かれています。
建長寺には今もたくさんの柏槇の大木が残っています。
その頃に栽えたものもあるのかもしれません。
大木を見るたびに、こちらも励まされます。
大木は何百年もの歳月を動かずにじっとしているのです。
しかも、決してなにもしていないのではありません。
みずみずしく、いつも伸びようとしながら立っているのです。
大地に深く根を張って伸び続けるというのは、坐禅そのものだと思います。
まさに大木に習うのであります。
横田南嶺